川端康成は、日本で初めてノーベル文学賞を受賞した作家です。
川端康成の晩年と最期を紹介します。
川端康成とは?
川端康成は、近代日本文学を代表する作家の一人です。
幼い頃に両親を亡くし、祖父母に育てられました。
東京帝国大学に進むと、新思潮という文芸雑誌の創刊に携わります。
大学を卒業した後は、横田利一などと共に「文藝時代」を創刊し、ヨーロッパの前衛文学を取り入れた新感覚派の作家として注目を集めました。
代表作には「伊豆の踊子」や「雪国」「千羽鶴」などがあります。
日本の伝統美を抒情的に描く作風が魅力で、数々の文学賞を受賞しています。
川端康成の晩年
川端康成の作品は翻訳され、海外でも人気を集めました。
「雪国」がエドワード・ジョージ・サイデンステッカーによって翻訳され、アメリカで出版されたのは1956年のことです。
サイデンステッカーは日本文学に精通した文学者であり、翻訳を通して日本文化の普及に貢献した人物として知られています。
「雪国」は川端康成の独特の表現が用いられるため翻訳は難しかったのですが、巧みな表現によって見事に独特の世界を表しています。
川端康成は国際ペンクラブの副会長にもなり、国際的な作家として知られるようになりました。
そして1968年に、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞しています。
ストックホルムで行われた授賞式には、紋付き袴という正装で出席しました。
川端康成の最期
川端康成は72歳の時に、ガス中毒で死去します。
仕事場として借りていたマンションで自殺したのです。
ガスストーブの栓からガス管を引いており、眠っているような顔で亡くなっていたといいます。
書斎からは日ごろから服用していた睡眠薬が空になった瓶も見つかっており、睡眠薬の中毒症状も起こしていたようです。
遺書などはありませんでした。
川端康成の死は、世界に衝撃をもって伝えられました。
川端康成の作品
川端康成の作品には、川端自身の体験が元になっているものが多くあります。
例えば「伊豆の踊子」は、川端が19歳の時の伊豆旅行の経験が元になっています。
一人の青年が踊り子の少女との出会いによって抱えていた悩みや感傷を解きほぐしていく物語で、少女との別れまでを描いた作品です。
また、幼い頃に経験した家族の死も、その後の死生観に大きな影響を与えました。
失恋の経験なども作品に活かされています。
川端康成をめぐる逸話
川端康成は、美需品のコレクターとしても知られています。
鋭い審美眼を持っており、古美術品を多数収集していました。
日本画や茶器、陶器などを集めており、美術的な価値の高い作品を所有していたといいます。
まとめ
川端康成は日本を代表する作家で、数々の文学賞を受賞しています。
晩年にはノーベル文学賞も受賞しました。
国際的な作家としても有名です。
川端康成は72歳の時に、ガス自殺をしました。
遺書などは残されておらず、その死は世界に衝撃をもって伝えられています。