「青江三奈」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「青江三奈」の死に際とは?日本の人物

この記事では、青江三奈の晩年や最期を分かりやすく説明します。

青江三奈とは?

青江三奈はハスキーボイスで知られる歌手で、ヒット曲「伊勢佐木町ブルース」が有名です。

1966年に「恍惚のブルース」でデビューすると80万枚を超えるヒットを記録しました。

それから「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」とヒットを飛ばし、いずれもミリオンセラーを達成します。

1969年に発表した「池袋の夜」は150万枚を売り上げ、レコード大賞歌唱賞も受賞しています。

NHK紅白歌合戦には、16年連続で出演しました。



青江三奈の晩年

1970年代以降はヒット曲に恵まれなくなりますが、歌手としての活動は精力的に続けていました。

定期的にコンサートを開催しており、テレビ番組で歌ったりもしています。

デビュー25周年を記念してリリースしたアルバム「レディ・ブルース」は、日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞しています。

ものまねタレントの清水アキラとデュエット曲を発表したり、ジャズアルバムを発表してニューヨークでコンサートを開催するなど活動の場を広げました。

しかし、1998年にすい臓がんと診断されます。

病状を隠して仕事を続けましたが、1999年のコンサートを最後に歌手としての活動を停止しました。



青江三奈の死に様

青江三奈は、1999年の1月に都内の病院に入院します。

9時間にも及ぶ大手術に成功し、3カ月の入院生活を経て退院します。

抗がん剤治療は続けていましたが、本人は歌手として復帰することを目指していました。

しかし、2000年にがんの転移が発覚し、入退院を繰り返すようになります。

そして、2000年7月、すい臓がんにより亡くなりました。

享年59です。

青江三奈の死に様の信憑性

青江三奈の死因はすい臓がんでしたが、世間にはすい炎と公表していました。

また、亡くなる2カ月前に作曲家の花礼二と結婚しています。

10代の頃から同棲して16年間交際が続きましたが、一度破局しています。

その後、病気になったことをきっかけに青江三奈の方から連絡を取り、亡くなる2カ月前に入籍したのです。

しかし、家族には結婚のことを打ち明けていなかったため、相続をめぐってトラブルに発展します。

婚姻届も偽造ではないかと疑われたりもしましたが、筆跡鑑定の結果本人のものと判断されました。

まとめ

青江三奈は晩年も歌手活動を精力的に行っていましたが、すい臓がんを患い59歳で亡くなります。

タイトルとURLをコピーしました