迫真の演技に定評のある「家政婦は見た!」や「まんが日本昔ばなし」の独特かつ温かいナレーションなどで知られる女優の市原悦子の死因とは?
「市原悦子」とは?簡単に説明
昭和11年に千葉県千葉市で生まれた市原悦子こと塩見悦子(しおみえつこ)は、女優や声優として知られる人物で、昭和58年から平成20年までロングランで放映されていた「家政婦は見た!」の主人公でもあります。
昭和32年、高校卒業後に劇団俳優座の養成所に6期生として入所した市原は、入所後まもなく頭角を現し、新劇演劇賞やゴールデン・アロー新人賞などを次々に受賞するほどの評価を得ることに成功します。
昭和50年にはテレビで放映が開始された「まんが日本昔ばなし」での声優役に抜擢され、彼女の代名詞と言われるほどそのナレーションが定着していきます。
昭和58年からはテレビドラマ「家政婦は見た!」の主演を務め、この家政婦役は25年以上に渡って視聴者に親しまれてきました。
平成2年には第13回日本アカデミー賞における最優秀助演女優賞を受賞するなど、その後も数々の作品に出演し活躍をし続けますが、平成29年に自己免疫性脊髄炎の治療のため休業することを余儀なくされ、翌年の平成30年1月12日、心不全により82歳で永眠しています。
「市原悦子」の死に様
平成28年に体調不良により入院した市原悦子は「自己免疫性脊髄炎」と診断されたことにより芸能活動を一旦休止します。
懸命にリハビリに励んだものの、NHK大河ドラマ「西郷どん」の決まっていたナレーション役を降板せざるを得なくなってしまい、予定していた他の多くの仕事もキャンセルすることになります。
闘病生活を送りながら可能な限り自宅で声のみの収録を行うなど、少しずつ復帰に向けて動き出していた市原でしたが、平成30年の年末に盲腸を患ったことで入院することになり、一旦年始ごろには退院するものの、1月5日に再入院します。
再入院後、盲腸の手術は受けずに投薬治療を続けていましたが、1週間後の平成31年1月12日、うっ血性心不全により死亡しています。
「市原悦子」の死に様の信憑性
平成24年にS状結腸腫瘍を罹患し70代の高齢で手術を受けて成功した市原悦子は、2年後に最愛の夫を肺炎で失っています。
長年おしどり夫婦として連れ添ってきたパートナーを亡くした心労は計り知れず、この時期から市原の体調も優れないようになっていきます。
その後、平成28年に自己免疫性脊髄炎と診断され、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていましたが、平成30年に盲腸を患って入院することになります。
盲腸の悪化によりお腹に膿や水が溜まってしまっていたため手術を回避し、投薬治療を受けることを選択した市原でしたが、そのまま体調が回復することはなく、同年1月12日に82歳で永眠しています。
「市原悦子」の小ネタ等
千葉県の高校を卒業した後、一旦は富士銀行に就職が決まっていた市原悦子は、一度は諦めていた演劇への強い思いを断ち切ることができずに、劇団俳優座の養成所に6期生として入所します。
この時同期入所した中には、後にドラえもんの声優で大ブレークを果たすことになる大山のぶ代がいたことが知られています。
まとめ
市原悦子は「家政婦は見た!」や「まんが日本昔ばなし」で長い間お茶の間を楽しませてくれました。
その独特の佇まいや温かいナレーションなどは今でも数多くの人々の胸に焼き付いています。