それがわたしの夢・ユメ・ゆめ「鮎川悦子(シーナ)」の散り際とは?
この記事では鮎川悦子(シーナ)の晩年と散り際について解説していきます。
「鮎川悦子(シーナ)」とは?簡単に説明
「シーナ&ザ・ロケッツ」にてボーカルを務め、女性ロッカーのボーカリストとして草分け存在なのがシーナ氏だと言っていいでしょう。
“はかたんもん”で知られる「鮎川誠」氏と1975年に結婚。
公私に渡ってパートナー・おしどり夫婦として知られています。
イエローマジックオーケストラの「細野晴臣」氏のバックアップを受け、テクノ、ロック、ガールズポップの融合した独特のサウンドは印象的。
その代表的なものが『日本航空』のJALパックのCMで流れた『ユー・メイ・ドリーム』だと言っていいでしょう。
「鮎川悦子(シーナ)」の晩年
兎角ロックバンドにありがちな休業をせずに70年代から活動を続けていた稀有な存在であるのは間違いありません。
育児時期も誠氏の協力のも休まずに音楽活動を継続。
しかしその代償として88年頃に喉を傷めると、喫煙も続けていたことで悪化の一途を辿りました。
それが2008年の30周年公演後の楽屋でポリープ様声帯による気管閉塞に繋がります。
あわや窒息死だったとされ、就寝中に閉塞すれば確実に命を喪うほどに悪化していたと言います。
この件から喉のポリープ除去手術を経て、なおも精力的に活動を続けていましたが、2014年に新たな病魔が発覚。
それは極めて深刻なものでした。
「鮎川悦子(シーナ)」の死に様
2015年2月14日朝、入院先の病院で永眠。
61歳没。
死因は前年に告知されていた子宮頸がんによるものとされています。
既に発見された時にはステージ4で末期的状態でした。
「鮎川悦子(シーナ)」の死に様の信憑性
75年の入籍以来公私に渡りパートナーを務めてきた夫「鮎川誠」氏のインタビューで闘病の過程は知ることができます。
その一方で末期癌であることは公表しておらず、ファンにとっては寝耳に水だったと言えるでしょう。
子宮頸癌が発覚したのは2014年7月のことでした。
当時は5月の2daysライブに加えて、7月に6年ぶりのアルバムを発表するなど精力的に活動。
シーナ氏がライブを欠場した時は多忙な時期だっただけに過労だと思っていたファンが大多数だったと言えます。
実際にその後復帰し、ライブで元気な姿を見せていました。
11月には「シーナ&ロケット」35周年とファッションブランド『ヒステリックグラマー』30周年記念のコラボイベントに出演するも、直後に体調不良で入院。
15年の正月は自宅で越せたもの、中旬に再入院しますが、その後1ヶ月で力尽きてしまいました。
最期はシーナ&ロケットの音楽が流れる病室で最愛の夫と3人の娘に看取られることになりました。
まとめ
2015年2月14日の朝、入院先の病院で家族に看取られて永眠しています。
61歳没。
死因は14年7月の段階で既にステージ4だった子宮頸癌によるものでした。
告知を受けたもの公表は一切しておらず、11月末に入院するまで精力的に音楽活動を続けていました。
そのためファンには突然の訃報になったと言っていいでしょう。
没後に公私に渡ってパートナーだった誠氏がインタビューに応じ、闘病の過程を明らかにしています。