この記事では、夏目漱石の晩年や最期を分かりやすく説明します。
夏目漱石とは?
夏目漱石とは明治から大正にかけて活躍した文豪で、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」「こころ」など数々の名作を残しています。
英文学者でもあり、イギリスに留学したこともあります。
処女作「吾輩は猫である」を発表すると好評を博し、作家として生きていくことを決意します。
「倫敦塔」や「坊ちゃん」等の作品を次々執筆し、人気作家の仲間入りを果たしました。
また、夏目漱石の書斎は多くの門下生が集まり、議論をする木曜会の場となっています。
夏目漱石の晩年
夏目漱石は晩年に、「彼岸過迄」「行人」「こころ」といった作品を執筆しました。
これらは後期三部作と呼ばれ、人間のエゴイズムが描かれています。
夏目漱石は若い頃から神経症を患っており、たびたび悪化することがありました。
イギリスに留学していた頃にも人種差別にあい、症状が悪化した時期があったようです。
ストレスに弱く、妻子に当たり散らすこともあったといわれています。
暴力をふるうこともありました。
しかし、神経症の症状が出ていない時には、子煩悩で優しい人柄であったようです。
また、胃潰瘍にも何度も苦しめられており、晩年には糖尿病も患っていました。
健康である時の方が少なかったといわれています。
夏目漱石の死に様
夏目漱石は何度も胃潰瘍を発症していますが、それが原因となり腹部の内出血を引き起こしました。
そして、自宅で亡くなってしまいます。
享年49でした。
夏目漱石の死に様の信憑性
夏目漱石の死因は、胃潰瘍による体内出血です。
胃腸に負担をかける生活を送っていたとされます。
ストレスを解消するために過食になっていて、甘いジャムやアイスクリームが好物だったとされます。
ピーナッツを砂糖でコーティングしたお菓子も大好きで、書斎でよく食べていました。
医師からは甘いものを控えるように言われていましたが、守っていなかったようです。
それが糖尿病を引き起こし、胃潰瘍をさらに悪化させて結果的に命を縮めることになってしまいました。
当時、執筆中で朝日新聞に連載されていた「明暗」は、絶筆となりました。
まとめ
夏目漱石は晩年にも、「行人」や「こころ」など作家として様々な作品を執筆しています。
神経症や胃潰瘍を患い、体調不良に悩まされていました。
そして胃潰瘍が悪化し、体内出血を起こして亡くなっています。
享年49でした。