この記事では、三宅一生の晩年や最期を分かりやすく説明します。
三宅一生とは?
三宅一生トは世界的に活躍したデザイナーで、「一枚の布」をコンセプトにした服作りを行ってきました。
1970年に三宅デザイン事務所を設立し、翌年には自身の名前を冠したブランドイッセイ・ミヤケを立ち上げます。
1993年に発表した「プリーツ・プリーズ」は三宅一生の代表作で、細かいひだが全面に配されたデザインになっています。
和服とも洋服とも違う斬新なデザインは、多くの女性に指示されました。
また、展覧会なども開催しています。
三宅一生の晩年
三宅一生は「生涯現役」をモットーに、晩年も精力的に活動を行っていました。
自身のブランドイッセイ・ミヤケは後進に譲りましたが、2007年には「21_21 DESIGN SIGHT(トゥーワン・トゥーワン・デザイン・サイト)」のディレクターに就任しています。
日本初のデザインミュージアムで、三宅はその解説に尽力しました。
また、三宅は広島県の出身で、2009年にニューヨーク・タイムズで自らの被爆体験を明かしています。
原爆についてそれまで語ることはなかったのですが、アメリカのオバマ大統領の核廃絶の演説を聞き心境に変化が生まれます。
そして、オバマ大統領に広島訪問を促すメッセージを発信し、それが2016年にオバマ大統領が広島を訪問することにもつながっています。
それから2010年には文化勲章、2016年にはフランスのコマンドゥール(勲三等)を受賞するなどこれまでの功績が評価されました。
三宅一生の死に様
三宅一生が亡くなったのは、2022年8月5日のことです。
死因は肝細胞がんでした。
享年84です。
三宅一生の死に様の信憑性
三宅一生の死因は肝細胞がんで、肝臓の細胞がん化して悪性腫瘍となる病気です。
亡くなる直前まで21_21 DESIGN SIGHTの運営に携わり、デザインの資料を制作していたという話もあります。
新型コロナウイルスによる感染症の心配もあり表立った活動は行っていませんでしたが、傘下のブランドのスタッフに自宅からアドバイスをするといったこともあったようです。
まとめ
三宅一生は晩年も精力的にデザインの仕事に邁進していました。
また、自らの被爆体験を明かし、オバマ大統領に広島を訪問するようメッセージを送ったりもしています。
そして84歳で肝臓細胞がんのため亡くなりました。