この記事では、「中島忠幸」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「中島忠幸」とは?
中島忠幸とは日本のお笑い芸人で、小学校の同級生である竹山隆範とコンビを組みカンニングとして活動していました。
カンニングでは、ツッコミを担当しています。
カンニングは1992年に結成されましたが、売れない時代が長く続きました。
その後、売れないことをネタにしたことで徐々に人気を集め、テレビに出演する機会も増えていきます。
バラエティ番組の「虎の門」や「エンタの神様」「笑いの金メダル」などに出演しています。
「中島忠幸」の晩年
中島忠幸は晩年、カンニングとしてお笑いブームにのって人気芸人の仲間入りを果たしました。
2002年頃からテレビに出演する機会も増えました。
また、2004年には結婚し長男も誕生しています。
不遇の時代を経てやっとブレイクし、結婚もするなど生活は順調でしたが、突然病に倒れてしまいます。
体調不良のため病院を受診したところ、急性リンパ球性白血病と診断されたのです。
治療に専念するため長期休養することになりました。
カンニングは相方の竹山がピンとして活動していますが、竹山の出演料は中島忠幸にも分けられました。
治療費にもあてられたといいます。
また、闘病中に馬券を買っており、何度も万馬券を当てていたというエピソードもあります。
「中島忠幸」の死に様
中島忠幸は、2006年に臍帯血移植を受ています。
それにより回復し芸能界にも復帰できるのではないといわれていましたが、悪化したり良くなったりで入退院を繰り返していました。
自宅療養中には子どもと公演に行ったり、芸人仲間と釣りに行ったりもしていたといいます。
しかし、再び入院することになり、ウイルス性肺炎を発症して2006年12月20日に亡くなりました。
享年35です。
「中島忠幸」の死に様の信憑性
中島忠幸の直接の死因はウイルス性肺炎ですが、これには元々患っていた白血病が大きく影響しています。
白血病は血液のがんで、正常な白血球が減少するためウイルスへの抵抗力が落ちてしまいます。
そのため肺炎を併発することは多いのです。
中島忠幸は風邪をひき、抵抗力が落ちていたため肺炎になってしまいました。
まとめ
中島忠幸は晩年、芸人としてブレイクし結婚して子供をもうけるなど順調でしたが、急性リンパ性白血病を発症し闘病生活を送ります。
そしてウイルス性肺炎を併発して、亡くなりました。
享年35です。