「フローレンス・ジョイナー」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解説

「フローレンス・ジョイナー」の死に際とは?世界の人物

フローレンス・ジョイナーの晩年や最期を分かりやすく説明します。

「フローレンス・ジョイナー」とは?簡単に説明

1959年にアメリカのカリフォルニア州で生まれたフローレンス・ジョイナーは、陸上競技の短距離走者で、女子100mと200mの世界記録保持者です。

高校時代から陸上部で好成績を収め頭角を現していたものの、実家の経済状態が悪かったため高校を中退していましたが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に転入してからはオリンピック候補に選出されるほどの好成績を収めていきます。

1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックの200mで銀メダルを獲得しますが、スポンサーが付かなかったことなどにより一時的に陸上競技から離れていたジョイナーでしたが、1987年ごろに突如復帰して、翌年に開催されるソウルオリンピックに出場します。

このソウル五輪において、女子100m、200m、400mリレーの3競技でそれぞれ金メダルを獲得し、3冠を達成したジョイナーは、その奇抜なファッションや独特なスタイルにも人気が集まり、一躍女子スポーツ界の寵児となります。

その後陸上競技から引退したジョイナーは、1998年9月21日、カリフォルニア州の自宅にて、わずか38歳という若さで死亡しています。



「フローレンス・ジョイナー」の死に様

フローレンス・ジョイナーが自宅で就寝中に死亡したのは、わずか38歳のできことでした。

遺体は保安官事務所により検死され、死因は重度の癲癇発作による窒息死と公表されています。

また、ジョイナーの脳血管には先天性の異常があり、それが原因で晩年には海綿状血管腫を罹患していました。

1990年ごろから引退の原因にもなった強直性間代性痙攣発作を度々を起こしていた彼女は、1993年と1994年にその発作を緩和する治療を受けており、1996年には移動中の飛行機の中で発作を起こしそのまま入院するなど、華やかだった現役生活を退いてからは、身体の異変により一転して闘病生活に入っていきます。

亡くなった当日、夫であるアル・ジョイナー氏がうつ伏せ状態の妻をベッドの上で発見した時には彼女は既に息をしておらず、わずか38歳で永眠した彼女の死については、事件性がなかったと公表されています。



「フローレンス・ジョイナー」の死に様の信憑性

フローレンス・ジョイナーは3冠達成に湧いたソウルオリンピックの終了後、キャリア絶頂期ともいえるわずか29歳にして陸上競技から引退しています。

陸上競技開始後はしばらく平凡な記録しか出していなかったジョイナーがその後急激にパフォーマンスを向上させたことから、ステロイドなどの薬物疑惑が取り沙汰されていました。

当時は現在と異なりドーピング検出システムの精度が低く、検査をしても逃れられていたという時代でもあり、特に彼女が男性を思わせる女性らしくない非常な筋肉質な体躯であったことも疑われる一因となっていました。

また、ジョイナーが引退を発表した翌年から、ドーピング検査が強化されることが公表されており、年々厳しくなっていくドーピング検査をクリアすることができないと判断していたために突然引退したのではないかとも言われています。

若年ともいえる38歳で迎えた死は、数々の世界記録と引き換えに招いたと言われても仕方のないことかもしれません。

「フローレンス・ジョイナー」の小ネタ等

30年以上前にフローレンス・ジョイナーが打ち立てた2つの世界記録は、競技レベルやスパイクシューズ、陸上トラックなどのクオリティが当時よりも格段に向上し発展した現在においても、肉薄する記録すら存在していません。

まとめ

伝説と疑惑の両面がささやかれる世界記録保持者であるフローレンス・ジョイナーは、不滅の記録とドーピング疑惑によりその評価が分かれる人物ですが、彼女が軽やかに疾走する姿は今でも我々の脳裏に焼き付いています。

タイトルとURLをコピーしました