この記事では、テオ・ファン・ゴッホの晩年や最期について紹介します。
テオ・ファン・ゴッホとは?
テオ・ファン・ゴッホとは、オランダ出身の映画監督です。
画家として有名なフィンセント・ファン・ゴッホの弟の曾孫でもあります。
1981年に「Luger」という映画で監督としてデビューを果たしました。
オランダでGouden Kalf賞を受賞したり、サンフランシスコ国際映画祭で賞を受賞したりもしています。
俳優やプロデューサー、コラムニストとしても活動していますが、物議をかもしたコラムも多いです。
テオ・ファン・ゴッホの晩年
テオ・ファン・ゴッホは、新聞や雑誌でコラムを書いていました。
しかし、悪意が感じられるような文章と人を中傷するような内容が物議をかもし、多くの訴訟を起こされます。
そのせいで雑誌に寄稿することはできなくなりました。
それ以後は自身のWEBサイトを中心に活動を行っています。
テオ・ファン・ゴッホの最後の著書となったのは、「Allah Knows Best」という本です。
イスラム社会を題材にした本で、シニカルな文章で書かれています。
2001年に米国で起きた同時多発テロ事件をきっかけに、イスラムに対して批判を繰り返していました。
そして、反イスラム主義者である政治家のアヤーン・ヒルシ・アリを応援しており、アリが書いた脚本を元に「Submission」という短編映画も制作しています。
「Submission」はイスラムという意味の言葉で、イスラム社会の女性への暴力を扱っています。
テオ・ファン・ゴッホの死に様
テオ・ファン・ゴッホの死は、2004年11月2日に突然やってきました。
路上で突然発砲され、殺害されてしまったのです。
数発の玉が命中しており、喉を切り裂かれ胸も刺されていたといいます。
犯人は過激派組織に所属するモハンマド・ボウイェリというモロッコ系のオランダ人でした。
ボウイェリは終身刑になりました。
テオ・ファン・ゴッホの死に様の信憑性
テオ・ファン・ゴッホは、映画「Submission」が公開された時に殺害をほのめかす脅迫を受けています。
しかし、本人はそれを真剣に受け止めておらず、警察に保護を求めるようなこともありませんでした。
犯人のボウイェリは、アヤーン・ヒルシ・アリの殺害も企てていたとされます。
まとめ
テオ・ファン・ゴッホはイスラムを題材にした映画を製作しイスラム批判を行っていましたが、過激派組織に連なる人物に殺害されてしまいます。
享年47です。