棚ぼたから英国国王になった?
「ジョージ6世」の散り際とは?この記事ではジョージ6世の晩年と最期について解説します。
「ジョージ6世」とは?簡単に説明
2022年に「チャールズ3世」が即位したことで世界中の話題を集めた英国王室。
「ジョージ6世」が即位した経緯は現代ならば、それ以上の話題を呼んでいたのは間違いないでしょう。
元々は第2王子で王太子の「エドワード8世」が国王の地位よりも愛を選び、即位から1年経たずに退位。
これにより望むと望まざるとにかかわらず1936年12月に英国国王の座に就きました。
在任中は第二次世界大戦に加え、大英帝国の終焉など困難な時期を過ごしたと言っていいでしょう。
そのストレスも手伝ってか、長寿で知られる英王室では短命の人物でした。
「ジョージ6世」の晩年
第二次世界大戦には勝利したもの国には戦争の疲弊が残り、インド帝国がインドとパキスタンとして分離独立。
大英帝国は終焉を迎えます。
そしてジョージ6世自身も体調を崩し、公務を長女のエリザベスに任せることが多くなります。
51年12月の国王演説は代読。
父「ジョージ5世」の治世から続く国民に向けたラジオでのクリスマスメッセージ、そのどちらからもそう遠くない未来に「ジョージ6世」の時代が終わることを感じさせたものになりました。
「ジョージ6世」の死に様
1952年2月6日の早朝、イングランドノーフォーク州サンドリンガムのサンドリンガムハウスで死去しています。
正確な死亡時刻は不明ですが、7時30分に側仕えが彼の死を発見しています。
死因は就寝中に冠動脈血栓症を発症したことによるものでした。
56歳没。
「ジョージ6世」の死に様の信憑性
彼の体調悪化を戦争による心労と結びつける記事も古くからあります。
しかし言うなれば1936年に担ぎ上げられる形で英国王になった時から多大な心労があったのは間違いないでしょう。
王太子としての教育は受けておらず、何の準備もしていない状態で国王にならざるを得なかったからです。
兄の退位前日に母の王妃「メアリー・オブ・テック」のもとを訪れ号泣した逸話が残るほどでした。
そのストレスも手伝ってか、父「ジョージ5世」同様のヘビースモーカーになってしまいます。
そして喫煙量の多さが晩年の深刻な動脈硬化及び肺がんの発症に繋がったと言っていいでしょう。
まとめ
「ジョージ6世」は1952年2月6日の就寝中に亡くなっています。
56歳没。
死因は冠動脈血栓症でした。
望んでいなかった英国王に突然就かねばならなかったことを発端に第二次世界大戦、大英帝国の終焉とも言えるインド帝国の分離独立と在任中はストレスの負荷も大きく、物理的にもヘビースモーカーで動脈硬化を悪化させる下地は充分にありました。
49年3月に右足の動脈閉塞手術を行っており、動脈硬化性疾患がいつ起きてもおかしくない状態だったと言えるでしょう。
また51年9月には肺がんの摘出手術を受け、体力の衰えは隠せないようになります。
同年12月の国王演説は貴族院議長「ギャヴィン・シモンズ」が代読。
同月の国民に向けたクリスマスメッセージもテープ編集が必要なほど。
この時点で近い将来「ジョージ6世」の治世が終わることは誰の目から見ても明らかでした。