この記事では、アベフトシの晩年や最期を分かりやすく説明します。
アベフトシとは?
アベフトシとは、4人組のロックバンド・ミッシェル・ガン・エレファントのギタリストとして知られています。
ミッシェル・ガン・エレファントは1996年に、シングル曲「世界の終わり」でデビューしました。
ライブを中心に活動しており、1回のツアーで40か所以上のライブハウスやホールを回っていたといわれています。
横浜アリーナで前例のなかったオールスタンディングライブを開催してこともあります。
人気絶頂の中、2003年に解散しました。
アベフトシの晩年
アベフトシは晩年、東京を離れ故郷である広島に帰っています。
ミッシェル・ガン・エレファントの解散後にはいくつかのバンドで活動していましたが、広島に帰ってからは音楽業界からは完全に離れていたといいます。
ペンキ屋を営んで生計を立てていました。
ただし、一度だけ吉川晃司のライブに参加したことがあります。
吉川晃司は広島の出身で同郷だったため、兄貴分的な存在でした。
ライブ出演をオファーされ快諾しています。
吉川晃司から呼び出された際、お酒を飲んでいた二人は何かのきっかけで殴り合いの喧嘩になったというエピソードもあります。
結局、酔いが冷めてからアベフトシが謝罪し、ライブに出演することになったのです。
これが人生最後のライブ出演となりました。
アベフトシの死に様
アベフトシは2009年7月、急死しています。
その日は、最後に出演した吉川晃司のライブが収録されているアルバムの発売日でした。
死因は急性硬膜下血腫で、享年42です。
アベフトシの死に様の信憑性
アベフトシの死因となった急性硬膜下血腫とは、頭蓋骨と硬膜という部位の間に出血が起こるものです。
事故など頭部の外傷によって生じるものなので、何らかの事故に巻き込まれた可能性が高いといえます。
自転車事故にあったのではないかという噂もありますが、詳しい状況については公表されなかったので真相は分かりません。
ただし、急性硬膜下血腫が死因ということは、病気による死ではなかったことが伺えます。
アベフトシの死後、追悼プロジェクトが始まりベストアルバムの発売やラストライブを編集した映画の公開などが行われました。
まとめ
アベフトシは晩年、音楽業界を離れ故郷の広島でペンキ屋を営んでいました。
そして、急性硬膜下血腫により42歳で亡くなっています。