「ジャンボ鶴田」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解説

「ジャンボ鶴田」の死に際とは?日本の人物

ジャイアント馬場率いる全日本プロレスのエースだったジャンボ鶴田は、49歳という若さで亡くなっています。

今回はその死因について詳しく解説していきます。

「ジャンボ鶴田」とは?簡単に説明

昭和26年に現在の山梨県山梨市で誕生したジャンボ鶴田こと鶴田友美(つるた ともみ)は、全日本プロレスで活躍したプロレスラーです。

1972年に開催されたミュンヘンオリンピックのレスリング競技であるグレコローマンスタイルの日本代表を経て、プロレス団体の全日本プロレスへ入団しており、入団当時に語った「全日本プロレスに就職します」という台詞は大変話題になりました。

御大ジャイアント馬場の後継者として期待され、数多くのプロレスファンや関係者から最強のプロレスラーであると囁かれていた鶴田は、現役当時は身長196cm、体重125kgという日本人離れした体躯を誇り、巨漢である数々の外国人レスラーと名勝負を繰り広げてきました。

ジャイアント馬場が加齢により一線から引き始めたことにより、自身がエースとして活躍し始め、ついに怪物覚醒か、とまで言われていた鶴田でしたが、後年B型肝炎を発症してしまい一旦リングを離れることになります。

復帰に向けて闘病していた矢先の平成12年、フィリピンの首都マニラでドナーが現れ、現地で肝臓移植手術を行いますが、手術中に大量出血を起こしてしまい、ショック症状に陥ってしまいます。

その後懸命の治療の甲斐もなく、そのまま永眠することになった鶴田は当時まだ49歳でした。



「ジャンボ鶴田」の死に様

ジャンボ鶴田が患ったB型肝炎はその後肝硬変を経て、肝臓がんへと転化していき、そのまま重篤な状態へ進行していきました。

日本においては親族間での生体肝移植しか認められていなかったため、海外での手術を模索していた鶴田は、フィリピンのマニラでドナー出現の一報を受けたことにより、急遽フィリピンの国立腎臓研究所にて肝臓移植手術を行うことになります。

しかしながら、この手術中に大量出血を起こした鶴田は、そのままショック症状に陥ってしまい、その後16時間にもおよぶ懸命な治療が続けられましたが、5月13日49歳の若さで亡くなっています。



「ジャンボ鶴田」の死に様の信憑性

出血との闘いとも言われている肝臓移植は、大量出血によるショック死がけっして珍しいものではなく、肝硬変が進行してしまうと、医師による処置を施したとしても出血を止めることは至難の業であると言います。

また、ジャンボ鶴田は現役時代、プロレスの試合中に出血することが少なくありませんでしたが、体質的に一度流血するとなかなか血が止まらず、他のレスラーたちと比べて尋常ではない出血量だったと言われています。

対戦した数多くのレスラーが驚きを禁じ得ないほどの出血量だった鶴田の体質は、元々肝臓移植に耐えられるものではなかったのかもしれず、通常の肝臓移植手術では2~3バックで済む輸血量ですが、鶴田の手術の際に使われた血液量は30バックにも及んでいました。

「ジャンボ鶴田」の小ネタ等

順調に見えた現役時代にB型肝炎を発症ししてしまったジャンボ鶴田は、現役生活を続けながらも、桐蔭横浜大学や慶應義塾大学、母校の中央大学などで講師を務め、教育者としても活躍していました。

闘病中の平成6年には筑波大学大学院の体育研究科コーチ学専攻に合格し、非常勤講師ながらも大学教員としても活動していました。

まとめ

若手の頃はサラリーマンレスラーと揶揄されることもあったジャンボ鶴田は、その後日本人離れしたスケールの大きい不世出のプロレスラーとして認められるようになりました。

彼の試合に熱狂した数多くのファンは、今でも彼のダイナミックな技の数々を忘れてはいません。

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