この記事では、渡辺裕之の晩年や最期について紹介します。
渡辺裕之とは?
渡辺裕之とは、テレビドラマや映画などで活躍した俳優です。
「ファイト・一発」をキャッチフレーズとするリポビタンDのCMで、端正な顔立ちや鍛え上げられた筋肉が話題となり人気を博しました。
渡辺裕之は和歌山県の出身で、1982年に映画「オン・ザ・ロード」に主演しデビューしています。
また、代表作には、昼ドラとして人気を集めた「愛の嵐」「華の嵐」「夏の嵐」の嵐シリーズが挙げられます。
二枚目の好青年を演じました。
仮面ライダーやウルトラシリーズなど特撮物にも多数出演しています。
渡辺裕之の晩年
渡辺裕之は晩年、俳優として活動を続けていました。
幅広い役柄を演じており、様々な作品に出演しています。
「庶務行員・多加賀主水が許さない」や「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う」「超高速!参勤交代リターンズ」などがあります。
また、任侠ものを描いたオリジナルビデオなどにも出演しています。
プライベートでは女優の原日出子と結婚しており、おしどり夫婦として有名です。
原日出子には結婚当初連れ子がありましたが、子どもとの関係も良好で仲の良い家族だったといわれています。
しかし、晩年は様々な問題を抱えていたようで、周囲に明かすことはありませんでしたが自律神経失調症を患っていました。
投資トラブルに見舞われたこともあったとされます。
渡辺裕之の死に様
渡辺裕之が亡くなったのは、2022年の5月でした。
自宅にあるトレーニングルームで、亡くなっていたのを妻である原日出子が発見したのです。
死因は縊死とされています。
自ら命を絶ってしまったのです。
享年66でした。
渡辺裕之の死に様の信憑性
渡辺裕之はリポビタンDのCMの影響もあり、とても明るくて健康的なイメージがあります。
そのため自殺というニュースに驚いた人がほとんどでした。
しかし、元々心配性な性格で、眠れないことが多くなり将来に不安を感じていたといいます。
自律神経失調症の診断を受け、治療を始めたところでした。
また、世間は新型コロナウイルスが蔓延し始めた時期で、閉塞感が漂っていました。
そういった世の中の空気が影響を与えたことも考えられます。
まとめ
渡辺裕之は俳優として活動し、晩年も様々な作品に出演しました。
しかし自律神経失調症を患い、不眠などの症状に悩まされます。
そして自ら自宅で命を絶ってしまいました。
享年66です。