我々は「川口浩」の死の謎を解くべく、アマゾンの奥地へ向かった。
この記事では川口浩の晩年と散り際について解説します。
「川口浩」とは?簡単に説明
アラフィフ以上の方には少年時代に男女問わず『川口浩探検隊』のごっこ遊びを経験しているはずです。
それほど当時の視聴者に与えたインパクトは大きく、世間に認知されていたと言っていいでしょう。
後年には「嘉門達夫」氏により『ゆけ!ゆけ!川口浩!!』がコミックソングとしてリリースされていますが、歌詞にある疑問点込みで楽しむエンターテイメント性の高い番組でした。
川口氏自身は既に『キィハンター』のレギュラーとしてお茶の間では顔の知られた存在でアクションの実績があり、過酷なロケの隊長役はハマリ役になりました。
「川口浩」の晩年
晩年には立て続けに身内の不幸に見舞われることになりました。
82年には実母、そして翌年にはまだ若い次女を17歳で難病により喪っています。
そして2年後には実父であり作家として有名な「川口松太郎」を亡くすこととなりました。
同時期に浩氏も胃癌に罹患してしまいます。
この一連の前、78年には実の弟妹がLSDをはじめとした各種薬物所持により逮捕されています。
これにより一部心ないマスメディアからは呪い云々とゴシップ記事が掲載されることになりました。
「川口浩」の死に様
1987年11月17日18時39分に入院先の病院で帰らぬ人となりました。
51歳没。
死因は腎不全と肺炎の合併症でした。
食道癌の手術後の予後が悪かったことによる腎不全の発症が死因として挙げられます。
また食道癌の転移と浸潤が想像以上で臓器の摘出による体力低下と肺炎を防ぎ切れなかったのも大きな要因になりました。
「川口浩」の死に様の信憑性
川口浩探検隊は長期ロケ番組でありながら9年に渡り45回放送されていることから解るとおり人気番組。
その隊長でもある川口氏は絶大な人気があり、当時の視聴者世代が社会の中心になると、その死を振り返る機会は多く設けられることになりました。
亡くなった当時よりも詳細に闘病生活の様子を知ることができるはずです。
異変が起きたのは87年7月。
食事の際に異常を察知、検査の結果食道癌が判明し9月上旬に入院。
しかし下旬に入り喉の痛みを訴えたことで改めて検査を行うと下咽頭癌を併発していることがわかりました。
俳優として復帰を熱望、食道癌のみの切除手術を行っています。
下咽頭癌はガンマナイフを使った放射線治療で縮小したもの、食道癌の進行は医師の想定を上回っていました。
11月1日の手術では食道、脾臓に加え、2年前の胃癌の手術で残っていた胃すらも全摘することになってしまいます。
痰を自力では排出できなくなり、肺炎を防ぐために14日には気管支切開しドレーンを挿入。
これにより会話することが不可能になってしまいます。
それでも肺炎の悪化は防ぐことはできませんでした。
17日の昼には自身でも死期と体力の限界を悟っていたとされ、30%ダメだと見守る家族に筆談で示したそうです。
まとめ
1987年11月17日18時39分に亡くなっています。
51歳没。
死因は腎不全と肺炎の併発によるものでした。
87年7月に発覚した食道癌は入院後に下咽頭癌を併発していることが判明。
下咽頭癌は放射線治療で寛解できそうでしたが、食道癌の進行は絶望的に早かったとされます。
痰を除去するためのドレーンを設置、気管支切開などで肺炎を防ぐ手段は講じましたが、悪化は止めることができませんでした。