「渡瀬恒彦」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「渡瀬恒彦」の死に際とは?日本の人物

この記事では、渡瀬恒彦の晩年や最期について紹介します。

渡瀬恒彦とは?

渡瀬恒彦とはテレビドラマや映画など様々な作品で活躍した俳優で、渡哲也の弟としても知られています。

渡瀬恒彦の俳優人生は、1970年に映画「殺し屋人別帳」に主演したところから始まります。

身体能力が高いことを活かし、アクション俳優として活躍しました。

バスジャックの犯人を描いた「狂った野獣」では、自らバスの運転も行っています。

その後は演技の幅を広げ、1978年の映画「事件」では日本アカデミー賞で助演男優賞を受賞しています。



渡瀬恒彦の晩年

渡瀬恒彦は晩年、テレビドラマを中心に活動するようになります。

十津川警部シリーズやおみやさん、警視庁捜査一課9係など人気のテレビドラマで主演を務めています。

十津川警部シリーズは、1992年から放送がスタートした人気の刑事ドラマです。

おみやさんも迷宮入りした事件を紐解いていく刑事ドラマで、主人公の京都府警に勤務する鳥居勘三郎役を演じました。

警視庁捜査一課9係も刑事たちが難事件を解決していくドラマで、晩年は刑事役を演じることが多くありました。

ただし、NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」では落語家を演じるなどそれ以外の役柄を演じることもあります。



渡瀬恒彦の死に様

渡瀬恒彦は2015年にがんと診断されますが、それを周囲に明かすことはありませんでした。

おみやさんや警視庁捜査一課9係など人気ドラマの撮影も行われています。

しかし、その際には既に余命を宣告されており、体調は徐々に悪化していきました。

そして2017年2月、入院することになります。

翌月には敗血症を発症します。

本人は台本を読むなど次の撮影に意欲的でしたが、容体が急変してしまいます。

妻と子ども達に看取られながら亡くなりました。

死因は胆のうがんによる多臓器不全です。

享年72でした。

渡瀬恒彦の死に様の信憑性

渡瀬恒彦の遺作となったのは、スペシャルドラマ「そして誰もいなくなった」です。

クランクインの際に自らがんであることを話し、それでもこの役を全うしたいと挨拶したといいます。

体調が悪化する中で演じ切るのは大変でしたが、移動では車椅子を使用したり休憩中に酸素吸入を行うなど何とか乗り切りました。

自らの命を削って撮影に臨んだ役者魂が伺えます。

まとめ

渡瀬恒彦は晩年もドラマに出演していましたが、胆のうがんによる多臓器不全を起こし72歳で亡くなっています。

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