この記事では、河島英五の晩年や最期について紹介します。
河島英五とは?
河島英五とは、「酒と泪と男と女」のヒット曲で知られるシンガーソングライターです。
この曲は河島が19歳の時に作詞・作曲したといわれています。
高校時代に結成した音楽グループのホモ・サピエンスで歌手としてデビューし、その後はソロに転身しました。
「酒と泪と男と女」が清酒のCMに使われたことで広く知られるようになります。
代表曲には、「野風増」や「時代おくれ」「生きてりゃいいさ」等もあります。
また、俳優としても活動しました。
河島英五の晩年
河島英五は、晩年も音楽活動を続けていました。
歌手としてデビューして以来、4000回以上のコンサートを開催したといわれています。
都市部だけではなく僻地でも行っており、ファンと触れ合うことを大事にしていました。
1995年からは「復興の詩」という阪神淡路大震災のチャリティーコンサートをプロデュースしています。
震災の被災者を励ます目的で、毎年神戸でチャリティーコンサートを行っていました。
また、河島には3人の子どもがいますが、亡くなる数週間前に長女の結婚式に出席しています。
河島英五の死に様
河島英五は2000年頃から体調を崩すようになります。
ただし、コンサートの予定がぎっしり詰まっていたので、家族に勧められても病院に行くことはありませんでした。
しかし、2001年の1月に倒れ、入院を余儀なくされます。
マロリー・ワイス症候群と診断されました。
食道の粘膜が切れて、出血する病気です。
また、肝硬変や静脈瘤なども見つかります。
歌えないなら死んだも同然だといい、入院中も作曲活動をしていたといわれています。
退院しますが体調は優れず、それでもコンサートを行います。
そして2001年4月、吐血して倒れ肝疾患のため急逝しました。
享年48です。
河島英五の死に様の信憑性
河島英五は、亡くなる2日前にもコンサートを行っていたといいます。
倒れて病院に搬送された後も、医者に歌わせてほしいと懇願したほどだったといいます。
河島にとって音楽は、生きることそのものだったのかもしれません。
亡くなる直前、意識が混濁する中でも家族にギターを持ってきてほしいと言ったともいわれています。
家族に見守られながら亡くなりました。
まとめ
河島英五は晩年も精力的にコンサートを開催していました。
亡くなる直前にもコンサートを行っていて、48歳で急逝しています。