元祖教育ママゴン、視聴率三冠期のフジテレビのお昼の顔、塩沢ときの晩年と最期とは?
この記事では塩沢ときの晩年とその最期について解説していきます。
「塩沢とき」とは?簡単に説明
1970年代に加熱し始めた受験戦争やPTA、教育ママは世相の代名詞ともなりました。
そのモーレツさを怪獣に例えてママゴンと称されていましたが、映像でその地をいったのが彼女だと言っていいでしょう。
ケンちゃんシリーズは有名ですが、ウルトラシリーズにも教育ママで登場するなど、キャラクターとして認知されていました。
再ブレイクはフジテレビのバラエティ「いただきます」や「俺たちひょうきん族」でも濃いオバさんのキャラクターで茶の間の人気を集めています。
「塩沢とき」の晩年
彼女の晩年は決して順調とは言えませんでした。
再ブレイク期に右胸の乳がんの摘出手術は行ったものの、ブレイク期も過ぎてテレビの仕事は激減しています。
1999年には骨粗鬆症に罹患。
仕事の際にも杖で出演を重ねていきます。
骨粗鬆症自体は、骨の破壊を防ぐ治療剤が2001年に販売されたこともあり、2004年には完治することとなりました。
しかし喜びの間もつかぬことにまたもや乳がんに身体を蝕まれますが、これも克服。
がんと共生を体現しています。
しかし最期に襲った病は最も予後の悪いがん種として知られるスキルス性の胃がんでした。
「塩沢とき」の死に様
二度目の乳がんを乗り越えてまもなく、更なる病が彼女を襲っています。
その病名はスキルス性胃がん。
再ブレイク時の時期、フジテレビで活躍していた逸見政孝氏が罹患したことで有名な予後の悪いものだったのです。
一年に渡る闘病生活もむなしく2007年5月17日午前3時23分に彼女は息を引き取ってしまいました。
享年80。
彼女にとっては30代での舌がん、50代と70代での左右の乳がんに続き、四度目のがんとの闘病となりましたが、克服することは叶いませんでした。
「塩沢とき」の死に様の信憑性
亡くなって15年が経過した2022年の11月の週刊誌には脇役家業を地でいった彼女の在りし日のインタビューや遍歴が掲載されています。
スキルス性の胃がんに罹患したのは2006年のことで1月に放送された「新・細うで繁盛記」が遺作となりました。
三度の癌との戦いに打ち勝ったことから、がんと共生するをモットーとしていたことでも知られていますが、最期まで今回のがんにも打ち勝つ気力を保っていたと言います。
まとめ
塩沢ときは2007年5月17日午前3時23分に79歳にて永眠しています。
死因はステルス性の胃がんで2006年からの闘病でした。
彼女は三度のがんに罹患、克服しています。
がん経験者ならではの細心さにより、発見が初期だったことも幸いしていたと言えるでしょう。