この記事では、「船村徹」の晩年や最期を分かりやすく説明します。
「船村徹」とは?
船村徹とは戦後の歌謡界を代表する作曲家で、その生涯では5000曲以上も作曲しました。
また、歌謡界に演歌を根付かせた人物といわれています。
1953年に「たそがれとあの人」で作曲家としてデビューします。
その後、「別れの一本杉」や「王将」「波止場だよ、お父つぁん」「なみだ船」など、数々の名曲を世に送り出しました。
「王将」は村田英雄に提供した曲で大ヒットとなり、戦後初めてのミリオンセラーを達成しています。
「船村徹」の晩年
船村徹は晩年にも、様々な曲を作曲しています。
2001年にリリースされた「虹色の砂時計」と「星が歌った物語〜ポロ兄ちゃんとタンちん君〜」は安田祥子・由紀さおり姉妹に提供された曲で、NHKで放送されたアニメ「カスミン」のオープニングテーマとエンディングテーマになりました。
その後も五木ひろしに「傘ん中」、細川たかしに「オジロ鷲」、伍代夏子に「肱川あらし」など名立たる演歌歌手に曲を提供し続けています。
また、晩年には長年の功績が高く評価され、紫綬褒章や旭日中綬章、文化功労者、文化勲章など様々な賞を受章しています。
文化勲章を受章したのは、歌謡曲の作曲家としては船村徹が初めてでした。
それから日本作曲家協会の理事や日本音楽著作権協会の名誉顧問などを務めたこともあります。
2015年には出身地である栃木県内に「日本こころのうたミュージアム・船村徹記念館」がオープンしています。
オープニングセレモニーには、演歌歌手の北島三郎や鳥羽一郎など多くの著名人が駆け付けました。
「船村徹」の死に様
船村徹が亡くなったのは、2017年2月16日のことです。
死因は心不全でした。
自宅の寝室で倒れているところを家族が発見し、救急搬送されましたがそのまま亡くなっています。
享年84です。
「船村徹」の死に様の信憑性
船村徹は84歳と高齢でしたが、亡くなる直前まで体調は良かったといいます。
前日には好物だったカレーうどんを食べました。
ただし、前年には心臓の手術を受けていたようです。
手術後の体調は良好で、文化勲章を受章したお祝いの会なども開かれたばかりでした。
突然の死だったといえるでしょう。
まとめ
船村徹は晩年も作曲活動を精力的に行っており、様々な曲を作っていました。
自宅で倒れ、心不全で亡くなっています。
享年84です。