この記事では、山本KID徳郁の晩年や最期について紹介します。
山本KID徳郁とは?
山本KID徳郁とは、総合格闘家として知られる人物です。
父はレスリング選手で、姉も妹もレスリング選手というスポーツ一家に育ちました。
山本KID徳郁もレスリングでオリンピック出場を目指していましたが、代表選考で敗れてしまいます。
そこで、総合格闘技に転向し、K-1に参戦します。
今でも名勝負と語り継がれるのは、2004年の大晦日に行われた魔裟斗との一戦です。
判定負けを喫しましたが、30%を超える視聴率を記録しました。
山本KID徳郁の晩年
総合格闘家として全盛期は華々しい活躍をしましたが、晩年はあまり成績が振るいませんでした。
年齢を重ねたことや怪我の影響もあり、思うような結果が出せなくなっていきます。
2011年からはアメリカのUFCに参戦しましたが、勝利を収めることはできませんでした。
UFCはアメリカで最大手の総合格闘技団体です。
また、山本KID徳郁は負傷によって欠場することも多くありました。
最後の公式戦となったのは、ロサンゼルスで開催されたローマンン・サラザールとの対戦です。
試合運びは優勢でしたが、無効試合となりました。
その後、東日本大震災のチャリティーイベントで、魔裟斗と対戦しています。
山本KID徳郁の死に様
山本KID徳郁は、2016年に胃がんが判明しました。
この時、既に進行しており、ステージ4の状態だったといいます。
それをきっかけに沖縄に移住し、療養生活を送っていました。
しかし、病状が悪化したためホスピスがあるグアムに移住します。
2018年にはInstagramで、がんであることを公表しました。
その公表から数週間後、グアムで亡くなります。
享年41です。
山本KID徳郁の死に様の信憑性
山本KID徳郁の死因は、胃がんによる多臓器不全です。
グアムに移住したのは、在宅によるターミナルケアを受けるためでした。
がんは全身に転移しており、死を覚悟したためか余生を家族と一緒に過ごすことを選んだのです。
ただし、本人は復帰することを諦めていなかったともいわれており、生きる意欲を見せていました。
まとめ
山本KID徳郁は晩年、総合格闘家として全盛期ほどの成績は残せませんでした。
また、胃がんを患い、判明した時にはすでにステージ4の状態でした。
そして、41歳という若さで余生を過ごしたグアムで亡くなります。