昭和映画界のビッグスター?
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梅宮辰夫の晩年と最期とは?この記事では梅宮辰夫の晩年と最期に迫ります。
「梅宮辰夫」とは?簡単に説明
70代前後の方には東映東京の看板スター、50代前後の方には『スクールウォーズ』や「松方弘樹」とのコンビでの活躍が印象に残る方が多いことでしょう。
それより下の世代にはバラエティ番組に良く登場する面白いおじさんの印象が強いのではないでしょうか。
長い年月テレビ、映画で生き残ったのは、その多面性からだと言っていいはずです。
90年代には娘アンナと羽賀賢二のスキャンダルでワイドショーにも度々登場する親バカな一面も持っていました。
「梅宮辰夫」の晩年
2017年1月に盟友かつ親友で、名コンビで特番で共演していた松方弘樹を亡くします。
これ以降は悲しみに暮れる間もなく、自身も闘病生活が続いていくこととなるのでした。
2018年9月に前立腺がん、2019年1月に尿管がんと次々に病魔に身体を蝕まれていくことになります。
それ以前にファンを愕然とさせたのは体力の衰えであり、18年3月には自身の60周年を祝うディナーショーの開演前に転倒。
30針を縫う大怪我を負っています。
18年の年末に出演したテレビ番組や新聞紙ではその激痩せに驚いた方も多いことでしょう。
「梅宮辰夫」の死に様
今まで6回にわたり、癌の摘出手術を行ってきた梅宮氏ですが、2019年の尿管癌の際には左の腎臓を摘出、週3回の透析治療を行う必要もあり、これ以降は体力的にも一気に衰えていくこととなりました。
そして2019年12月12日の午前7時40分に力尽き永眠しています。
特別変わった様子もなく、前日11日も透析治療に通院。
12日の朝、様子がおかしいことをクラウディア夫人が発見し、緊急搬送されたものの帰らぬ人となりました。
「梅宮辰夫」の死に様の信憑性
若い時分のがん克服体験はバラエティ番組で話してきた梅宮氏ですが、晩年のがんについては内密にしていることが多く、没後に明かされた新事実も多いと言っていいでしょう。
病名は明かされても、仕事に影響を与えるため切除部分などの詳細は極めて抑えられていました。
2016年に十二指腸と胆のうの全摘、すい臓と胃の部分摘なども明らかとなり、19年の左腎臓摘出と合わせ、身体の大部分を病魔に蝕まれていたことが明らかになっています。
まとめ
梅宮辰夫は2019年12月12日午前7時40分に神奈川県真鶴の病院で息を引き取っています。
81才のことでした。
死因は慢性腎不全によるものでした。
同年の2月から、週3回4時間ずつに渡る透析治療を行っていましたが、亡くなる前日も特別異変を訴えることはなく普通通りに一日を過ごしていたようです。
発見者はクラウディア夫人で同日の朝、自宅で就寝中の梅宮氏の異変に気づいたとのことでした。
弟分である4歳下の「松方弘樹」氏を2年前に見送って以降は自身も闘病生活に苦しみ続けることとなりました。