この記事では、梶原一騎の晩年や最期について紹介します。
梶原一騎とは?
梶原一騎とは、大人気を博した漫画「巨人の星」の原作者として知られています。
「あしたのジョー」や「タイガーマスク」等も梶原の代表作です。
格闘技やスポーツを題材にした作品が多く、男の生き様や闘う姿を描くことを得意としていました。
「巨人の星」は週刊少年マガジンに連載された漫画で、テレビアニメ化されると大人気を博します。
芸能プロダクションを設立したり、映画プロデューサーになるなど様々な活躍を見せています。
梶原一騎の晩年
梶原一騎は人気漫画を次々と生み出し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで芸能界にも進出します。
しかし、晩年はスキャンダルにまみれ、作品が打ち切られたり単行本が絶版になるなどその名声は地に落ちていました。
梶原の転落は、1983年に月刊少年マガジンの副編集長だった人物への傷害事件で逮捕されたところから始まります。
逮捕されたことで、それ以外の悪事も次々と明るみに出てしまいました。
お金のトラブルでアントニオ猪木を暴力団と一緒に監禁したり、ホステスの女性を暴行した事件などがメディアに報じられたのです。
執行猶予つきの有罪判決を受けた後は、小説家に転身しました。
弟と合作で小説を書きますが、あまり評判はよくありません。
健康状態も悪く、90kg近くあった体重が60kgにまで落ち込んでいたといいます。
梶原一騎の死に様
梶原一騎は傷害事件で逮捕された後、2カ月に及ぶ拘留後に保釈されました。
すると膵臓炎を発症して倒れてしまいます。
梶原は長年胆石を放置しており、長年の暴飲暴食や多量のアルコールも身体に悪影響を及ぼしたと考えられます。
亡くなる可能性が高い病気でしたが、手術を経て生還します。
そして執行猶予付きの判決を受け小説家として再スタートを切りますが、1987年に体調が悪化し再び入院すると息を引き取りました。
享年50です。
梶原一騎の死に様の信憑性
梶原一騎は90kg近くある巨漢でしたが、病気をしてからはかなり痩せてしまっていました。
プライベートでは破天荒な人生を送っており、そういった生活が健康を損ねたことは間違いないでしょう。
逮捕されたこともあって作品への評価も下がりますが、梶原の死後再び評価されるようになりました。
まとめ
梶原一騎は晩年、傷害事件を起こし今までの名声を失っていました。
そして膵臓炎を発症し、50歳で亡くなります。