「伊丹十三」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「伊丹十三」の死に際とは?日本の人物

伊丹十三の死因とは?

「伊丹十三」とは?簡単に説明

昭和8年に京都府京都市で生まれた伊丹十三こと池内義弘は、映画監督やドキュメンタリー映像作家として知られる人物で、2番目の妻は女優の宮本信子さんです。

51歳の時に映画監督としてデビューを飾り、遅咲きながらもその後は大ヒット映画作品を数多く世に送り出した映画監督として知られており、昭和59年の監督デビュー作である「お葬式」では、30を超える様々な映画賞を受賞しています。

その後は妻である宮本信子を起用した「マルサの女」シリーズが好評を博していき、自身も俳優としても数多くの映画作品に出演してキネマ旬報助演男優賞などを受賞するほどの評価を得ていました。

日本の社会に蔓延る問題を赤裸々に描いたメッセージ性の強いエンターテインメント作品として定評のある「伊丹映画」というジャンルを映画界に確立させた反面、映画で取り上げる内容が暴力団やヤクザなどを刺激することが多かったため、彼らから目を付けられるという弊害も発生していました。

平成4年に映画「ミンボーの女」が公開されると、1週間後には自宅近くで刃物を持った5人組に襲撃されたり、翌年公開された映画「大病人」では、公開中の映画館でスクリーンを切り裂く事件が起こるなど、伊丹が映画作品をリリースする度に周辺では常に事件が発生していたほどでした。

そして平成9年12月20日、伊丹プロダクションの駐車場にて飛び降りたとみられる伊丹の遺体が発見され、その後死亡が確認されています。



「伊丹十三」の死に様

平成9年12月20日の18時40分頃、屋上から飛び降りたとみられる伊丹十三は遺体となった状態で発見されています。

事故現場となった事務所のあるマンションの室内からは、ワープロで打ったと思われる遺書らしきものが複数残されており、室内に争った形跡がまったくなかったことなどから、警察は自殺と断定しています。

事務所に残されていた遺書のひとつには「身をもって潔白を証明します。

なんにもなかったというのはこれ以外の方法では立証できないのです」
などという内容が記載されていました。

これは当時26歳のOLであったA子さんとの不倫援助交際疑惑が持ち上がっていた伊丹の遺言であると判断され、彼の死後にはその2人が逢引きしている様子が写真週刊誌にも掲載されています。

さらにこのA子さんが当時SMクラブに勤めていたことで、伊丹がSMクラブに通っていたのではないかという疑惑も報じられています。



「伊丹十三」の死に様の信憑性

平成9年に投身自殺によって64歳で永眠することになった伊丹十三でしたが、妻である宮本信子や、友人である映画監督の大島渚氏や落語家の立川談志氏などは「伊丹はそんなことぐらいで自殺するわけがない」と口を揃えてコメントしていました。

また、自らが書いた文字に人一倍のこだわりを持ったレタリングデザイナーとして定評のあった伊丹が、ワープロを使って遺書を作成するのは現実的ではなく、偽造された遺書ではないかという疑惑も持ち上がっていました。

さらに伊丹は当時「医療廃棄物問題」に対する取材を続けており、一部の医療関係者により医療廃棄物が空き地などに不法投棄されている事を突き止めていた時期でもありました。

これらを報道されたくない勢力が自殺に見せかけて殺害したのではないかという説も浮上しています。

また伊丹の遺体からは、大量のアルコールが検出されており、昏睡状態のまま飛び降りたのではないかと推測されていますが、最終的にはこれらの真相が究明されることはありませんでした。

「伊丹十三」の小ネタ等

平成19年、伊丹十三が多感な少年時代を過ごした愛媛県松山市に「伊丹十三記念館」が開業しています。

館長は妻である宮本信子で、伊丹が晩年を過ごした湯河原の家などから数々の遺品を集めて展示しています。

まとめ

歯に衣を着せない稀有な映画監督として評価の高かった伊丹十三は、数多くの映画ファンから深く愛され、死後25年以上経過した現在においても、彼の残した名作の数々はファンを魅了し続けています。

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