誰もが信じられなかったまさかの死、坂井泉水の晩年と最期とは。
この記事では坂井泉水の晩年と最期について解説します。
「坂井泉水」とは?簡単に説明
バブル期に青春時代を迎えた方には彼女に特別な思い入れがある人も多いことでしょう。
80年代末から90年代前半にかけて音楽シーンを席巻したビーイング系のミュージシャンで「ZARD」のボーカルとして知らない方は少数派だと思われます。
ミリオンセラーを連発しながらも、あまりメディアには登場しないため神秘性の高さを当時誇っていました。
あまりに情報が秘匿されていたため、彼女の過去・レースクイーン時代の姿はお宝系雑誌では良く取り上げられ手板ものです。
「坂井泉水」の晩年
ZARDのボーカルとしてヒットを連発、「負けないで」や「揺れる想い」など女性が共感できる歌を自ら作詞し、人気を極めた彼女でしたが、その裏では病魔によって身体を蝕まれていました。
元々テレビ出演やライブ・コンサート活動が極めて少ないため、ファンで彼女の体調の悪さに気づいた人は皆無だと言えます。
21世紀に入ると密かに大病に続けて罹患。
婦人病の類に苦しまされることになるのでした。
「坂井泉水」の死に様
2007年5月28日に所属事務所SENSUIが坂井泉水の死去とコメントを発しましたが、寝耳に水の方も多かったのは間違いありません。
26日慶應義塾大学病院の高さ3メートルの場所から転落。
駐車場で仰向けになって倒れているところを発見され、集中治療室で処置を施されたものの脳挫傷のダメージは大きく、27日の午後3時10分に死亡が確認されています。
40歳没。
「坂井泉水」の死に様の信憑性
あまりに衝撃的なニュースであり、自殺、事故を含めて様々な憶測が飛び交ったのはご存じの方も多いでしょう。
自殺説については癌が進行。
肺にまで転移して将来を悲観した説や5年以上続く闘病生活を苦にしての説があります。
これに関しては彼女が復帰に前向きで様々な準備をしていたことから否定的な見方をする人が多いようです。
事故説については彼女は前述した通り復帰にそなえて、新曲用の作詞をしており、その合間に気分転換に夜外出。
スロープに設置されていた手摺に腰掛け、もしくは寄りかかっていたところ誤って転落したという内容です。
当時は大ニュースのため、テレビや新聞、雑誌で現場検証がされていますが、その場所は実はそれほど高さがありません。
意図的に自殺を試みる場合にはもっと高さのある場所を選ぶのが客観的だと思われます。
そう考えるとやはり事故だと考えるのが妥当と言えるでしょう。
まとめ
坂井泉水は2007年5月26日の深夜から明け方に慶應義塾大学病院の病室を抜け出しています。
駐車場におりるスロープの踊り場付近から手摺を乗り越える形で転落。
発見後、ICUで治療を受けましたが脳挫傷により27日15時10分に死亡しました。
40歳没。
婦人病、子宮頸がん、がんで子宮を全摘、さらに肺にがんが転移と病に苦しめられ続けた晩年でした。