「愛川欽也」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「愛川欽也」の死に際とは?日本の人物

おまっとさん!それからど~したの?あんた松下さん?時代を彩った名台詞の数々。

この記事では「愛川欽也」の晩年と最期について解説します。

「愛川欽也」とは?簡単に説明

70年代の昼『シャボン玉こんにちは』夜『11PM』テレビで彼を見ない日はなかったと言えるのが「愛川欽也」氏でしょう。

80年代は『なるほど!ザ・ワールド』90年代は『アド街』と長い期間テレビの第一線で活躍。

声優としても知られ『マッハGoGoGo』の主人公を見守る兄「研一」『いなかっぺ大将』では主人公の師匠「にゃんこ先生」ハクション大魔王の「それからおじさん」と多彩なキャラを演じました。

また「うつみ宮土理」氏とはキンキン・ケロンパおしどり夫婦として有名です。



「愛川欽也」の晩年

2010年代に入ると『出没!アド街ック天国』が放送されない地域ではその姿を見ることは減っていました。

しかし2012年に入るとインターネットテレビに参入。

『kinkin. tv』として「キンキン映画劇場」「ミドリの劇場」「パックインラジオ」など多彩なコンテンツを配信し、まだまだ健在ぶりをアピールしていました。



「愛川欽也」の死に様

2014年12月に肺がんが発覚。

既にステージは末期のものでしたが、高度先進医療で重粒子線治療を施術し、仕事を続けています。

しかしそれも寛解するには至りません。

番組を降板、自身の運営するインターネットテレビ局も閉鎖しますが、最後まで入院は拒んだそうです。

自宅治療を選択しますが、まもなく寝たきりの状態になってしまうのでした。

2015年4月15日5時11分に永眠。

80歳没。

死因は肺がんによるものでした。

「愛川欽也」の死に様の信憑性

『アド街』降板後も自身のインターネットテレビに出演しており、その姿は今も動画サイトで確認できます。

激ヤセなどの体調不良の兆候は見られませんでした。

15年3月突然の『アド街』降板で週刊誌や夕刊紙がゴシップ記事を掲載していた事実は確かにあります。

しかし「うつみ宮土理」夫人がこれを3月30日のワイドショーで全面否定。

本人が電話出演したこともあり、懸念は杞憂かと思われました。

しかしその後4月6日にインターネットテレビ自体を閉局することが発表されたため、改めて愛川氏の体調不良が真実味を帯びたと言っていいでしょう。

そしてそれから10日も経たないうちに死去することになりました。

没後の「うつみ宮土理」氏のインタビューでは、最後まで仕事に復帰することを望んでおり「仕事に行こう」と息を引き取る直前までうわごとで呟いていたと言います。

まとめ

「愛川欽也」は2015年4月15日の明け方5時11分に永眠しています。

80歳没。

死因は14年12月に見つかった肺がんでした。

見つかった当初から既に末期がんの状態でした。

それでも仕事を優先し、入院はせずに最先端医療の重粒子線で寛解を目指しています。

最後画面に登場したのは自身のインターネットテレビで3月半ばのことでした。

降板後すぐに寝たきりの状態になったと言います。

3月末にはワイドショーに電話出演し重病説を否定しますが、それから約二週間後に亡くなりました。

タイトルとURLをコピーしました