「千代の富士」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「千代の富士」の死に際とは?日本の人物

不世出の大横綱の不遇な晩年?

横綱千代の富士は順風満帆な現役生活を送った反面、引退後は対照的な晩年だったと言われます。

この記事では千代の富士の晩年とその散りぎわについて解説していきます。

「千代の富士」とは?簡単に説明

昭和の最後の大横綱と呼ばれ、横綱・北の湖との世代交代を促すウルフフィーバーを巻き起こしました。

現役終盤は怪我に加え、若・貴フィーバーに飲み込まれる形で世代交代、土俵から去っています。

均整の取れた肉体でしたが力士としては小柄な部類が判官贔屓を呼ぶとともに、精悍なマスクが人気に拍車をかけたとも言えるでしょう。

その人気は「キン肉マン」のウルフマンのモデルとして描かれたほど。

人気だけではなく実力も伴った横綱で幕内最高優勝31回は大鵬につぐ歴代3位、幕内通算勝利数807も歴代3位となっています。



「千代の富士」の晩年

91年5月場所を最後に引退、17代・陣幕を襲名し九重部屋を継承するも、16代陣幕の元横綱・北の富士や弟弟子の北勝海の八角部屋独立と言ったお家騒動に巻き込まれます。

継承した九重部屋の運営はしていたものの大横綱ではありながらも相撲協会内の立場は現役時代の実績からは寂しい状態が続きます。

2007年にようやく理事になると2012年には実質日本相撲協会のNo. 2事業部長に就任。

しかしそれでも協会内の地位は決して向上したとは言えませんでした。

2014年の理事改選では現役理事では史上初の落選で辛酸を舐め、さらには理事から委員に降格するなど冷遇状態は晩年になっても改善されることはないままでした。



「千代の富士」の死に様

2015年5月に還暦祝いの横綱土俵入り後に内臓疾患を理由に7月を全休後、9月場所で衝撃の告白が行われました。

休場前よりも13キロ減と一回り痩せた姿の千代の富士は7月に初期すい臓がんのため手術をしていたことを明かします。

すい臓がんは見つかった時点で進行している事が多く、再発を懸念する声のなか翌年にがんが再発。

肺や胃にも転移している状態でありましたが、なおも九重部屋で指導を続けます。

7月の名古屋場所中に緊急帰京し入院しますが、病状は悪化の一途。

入院から3週間も経たない2016年7月31日17時に61歳で永眠することとなりました。

「千代の富士」の死に様の信憑性

2015年に初期の膵臓がんを公表していますが、膵臓がんの特性上初期に見つかることは少なく、無症状のまま進行し発見された時には手の施しようがないことも多い難しいがんのため、当初から発表に懐疑的な声も上がりました。

9月場所で13キロ痩せた一回り小さくなった姿にファンは懸念の声をあげますが、翌年の春場所には見る影もないほどに痩せ、重篤かつ深刻な状態になっていたのは隠すこともできませんでした。

まとめ

千代の富士は2016年7月31日に61歳で亡くなっています。

ほぼ一年の闘病生活の末力尽きてしまいました。

現役時代は華々しく数多の記録を打ち立てた大横綱でしたが、引退後は自身の言動からくる悪評による人望の無さが露見。

さらに相撲協会内での派閥の壁により、実績に見合う地位には就けず辛酸を舐めた晩年だったと言えるでしょう。

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