「桂枝雀(2代目)」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「桂枝雀(2代目)」の死に際とは?日本の人物

落語界の重鎮としての重圧に押しつぶされた?「桂枝雀(2代目)」の死に際とは?

この記事では桂枝雀(2代目)の晩年と散り際について解説していきます。

「桂枝雀(2代目)」とは?簡単に説明

「すびばせんねえ」独特のフレーズで知られ、上方落語四天王の跡を継ぐ存在でした。

しかし上方落語界の期待以上のセンスと起承転結キッチリ計算された高品質の高い話術と笑いにより、四天王と同様に全国区の落語家になりました。

世代的には「月亭可朝」氏らで、師匠は「三代目桂米朝」氏。

1961年に住み込み弟子として師事を受け「十代目桂小米」を名乗り、1973年2代目枝雀を襲名しています。



「桂枝雀(2代目)」の晩年

また89年の『純ちゃんの応援歌』の高評価から以降単発的にドラマに出演。

しかしNHKテレビ小説『ふたりっ子』で自身の演技が周囲に迷惑をかけていると思い込んだ事で鬱病、脅迫観念や被害妄想の症状が発現してしまいます。

間の悪い事にこの時期は本業の落語でも新しい取り組みを手掛けたばかり。

70年代に発症した時同様に笑いのプレッシャーに苛まれる事になりました。

精神的な変調は肉体にも影響を与える事になり、97年6月末から休養する事になりました。

同年10月に充電を完了、ご当地大阪・京都での再出発を遂げています。

99年に還暦を迎えるため、98年はその記念企画に奔走。

イベント、記念商品などの準備を多岐に渡って尽力していました。



「桂枝雀(2代目)」の死に様

1999年4月19日3時1分、大阪府吹田市の入院先で逝去。

59歳没。

死因は心不全によるものでした。

「桂枝雀(2代目)」の死に様の信憑性

上方落語の重鎮かつ全国区の天才落語家として評価も高かっただけに、その死の詳細は細々と伝えられています。

3月13日21時頃に自宅の3階廊下の手摺に紐をかけて自殺に及んだとされます。

幸いにも家人により救助されると緊急搬送。

呼吸、脈もあり間一髪で致命傷は逃れたかに思われました。

しかし予想以上に脳へのダメージは深刻化。

5日後に集中治療室から一般病棟へ移されています。

それ即ちもはや病院では奇跡を待つしかなく、手の施し様がなく生命維持だけしている状態を示すものでした。

それでも人工呼吸器を家族が外す事はなく、約35日後に心不全で亡くなっています。

まとめ

1999年4月19日未明3時1分、かねてより入院中の吹田市の病院で逝去しています。

59歳没。

3月13日に自宅で首吊り自殺をはかるも家人に救助され、命は取り留める事ができたかに思われました。

周囲の速やかな対応で九死に一生を得るも、脳のダメージは大きく脳浮腫がおさまりません。

昏睡状態のまま、入院から5日後にはICUから一般病棟へ移されています。

それ即ち病院はやれる処置を全て終え、奇跡が起きるのを待つしかない、脳死を意味しています。

一般病棟に移って丁度1ヶ月後に心不全でこの夜を去る事になりました。

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