芥川龍之介は、「羅生門」や「鼻」「蜘蛛の糸」といった小説で知られる大正時代を代表する作家です。
芥川龍之介の晩年と最期を紹介します。
芥川龍之介とは?
芥川龍之介は東京生まれで、母が精神的に不安定だったため母の実家である芥川家で育ちます。
その後、正式に芥川家の養子となりました。
東京帝国大学に進学し、同級生とともに同人誌「新思潮」を創刊します。
新思潮において小説「老年」を発表し、作家としての活動を開始しました。
その後、代表作となる「羅生門」や「鼻」といった作品を発表し、夏目漱石から称賛されます。
大学を卒業した後は海軍機関学校の教官を経て大阪毎日新聞社に入社し創作活動に励みました。
芥川龍之介の晩年
芥川龍之介の晩年の代表作には、「河童」があります。
この作品は総合雑誌「改造」に掲載された小説で、河童の国に迷い込んだ主人公の体験談となっています。
人間の社会を痛烈に批判した作品として知られます。
晩年は精神障害を患っており、不眠症にも悩まされていました。
死を意識していたためか生死を題材にした作品を多く執筆しています。
また、自伝的な小説も書くようになり、「大導寺信輔の半生」や「或阿呆の一生」といった作品を残しました。
芥川龍之介の最期
芥川龍之介は、1927年の7月に服毒自殺をします。
ベロナールなどの睡眠薬を大量に飲んで亡くなりました。
享年35でした。
その際、妻と親友である作家の菊池寛にあてた遺書を残しています。
また、「或旧友へ送る手記」という遺稿が残されており、自殺の理由はうすぼんやりした不安であると書いてありました。
それが世間に伝わると、様々な憶測を招きました。
芥川龍之介をめぐる逸話
芥川龍之介は服毒自殺をする前に、平松麻素子という女性と心中未遂事件を起こしています。
実は平松麻素子を芥川龍之介に紹介したのは、龍之介の妻である文だったといわれています。
夫が自殺を考えているのではないかと不安になった文は、夫に話し相手がいれば孤独感が薄れるのではないかと文学に明るかった麻素子を紹介したのです。
やがて二人は文に隠れて会うようになり、龍之介の方から心中を持ち掛けたと言います。
二人の間に肉体関係はなく、不倫ではなかったといわれています。
結局、この時は麻素子の方が逃げ出したため心中には至りませんでした。
芥川龍之介の死後
芥川龍之介の死は、文壇のみならず世間に大きな衝撃を与えました。
後追い自殺をする若者も多かったようです。
また、親友の菊池寛は芥川龍之介が亡くなってから8年後に、芥川龍之介賞を創設しました。
芥川賞と呼ばれ、直木賞と並び日本で最も権威のある文学賞となっています。
まとめ
芥川龍之介は晩年、生死を題材にした小説や自伝的な小説を執筆しました。
精神障害を患い、ホテルで心中未遂事件を起こします。
その時は助かりましたが、その後睡眠薬による服毒自殺をしました。
自殺の理由を本人は、うすぼんやりした不安だと書き残しています。
享年35でした。