「遠藤周作」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「遠藤周作」の死に際とは?日本の人物

代表作の「海と毒薬」「沈黙」の著者として知られる遠藤周作は73歳で亡くなっています。

今回は、芥川龍之介賞や谷崎潤一郎賞などの数々の文学賞を総なめにしてきた彼の死因に迫ります。

「遠藤周作」とは?簡単に説明

大正12年に現在の東京都豊島区で生まれた遠藤周作は、キリスト教のカトリック信者であり、小説家としても知られる人物です。

太平洋戦争中の九州大学生体解剖事件をテーマにして描いた代表作である「海と毒薬」のヒットをきっかけにしてキリスト教作家としての地位を確立した遠藤は、その後も日本の精神的な風土とキリスト教を交えた深いテーマを扱い続けます。

数多くの作品が欧米でも翻訳され、その多くが好評価を得たことで、一時期ノーベル文学賞候補と噂されますが、彼の著書「沈黙」「スキャンダル」などの内容に一部過激でポルノを思わせるような表現を使用していたことにより、惜しくも受賞を逃しています。

その後も数々のキリスト教にまつわる書籍を執筆していきますが、平成8年9月29日、肺炎が悪化したことによる呼吸不全により73歳で永眠しています。



「遠藤周作」の死に様

遠藤周作は、平成8年9月29日、肺炎が悪化したことで併発した呼吸不全により73歳で死亡しています。

同年4月に腎臓病治療のため慶應大学病院に入院した遠藤は、闘病生活を送っていましたが、脳出血により一時危険な状態に陥ってしまいます。

その後回復の兆しをみせたものの、昼食時に喉に食べ物を詰まらせてしまったことで、肺に誤嚥しさらに肺炎を悪化させてしまった遠藤は、そのまま呼吸不全を併発して死亡してしまいます。

生涯において肺の病に悩まされ続け、かつて手術により片方の肺を切除してしまっていた遠藤にとって、晩年の肺に関わる病が致命傷となってしまいました。



「遠藤周作」の死に様の信憑性

病気と闘い続けた73年間の生涯を全うした遠藤周作は、10代の終わりごろに患った肺結核をきっかけにして、その後も肋膜炎や肝臓病に加えて、糖尿病や高血圧、蓄膿症、前立腺炎、腎臓病、脳出血などを罹患し、身体のあらゆる箇所を様々な病気が襲い掛かっていきます。

入退院を繰り返しながらの闘病生活は3年半を超え、死を迎える最後の1年間は、口もきくのも厳しい状態だったと言います。

遠藤は若い頃から腎臓に問題を抱えていたため、自宅療養中においても人工透析を続けなければならず、彼の夫人は透析のため夜通しで2時間ごとに寝起きを繰り返していました。

これらに加えて、晩年の遠藤をもっとも苦しめたのは、薬害による身体中の強烈なかゆみて゛、寝ることさえできないほどの厳しい症状でした。

最期は身体に何本もの管を通したまま病室で死亡した遠藤の死に顔は、大変穏やかな表情だったそうです。

「遠藤周作」の小ネタ等

日本人のもつべきキリスト教像を描いた晩年の作品「深い河」は、インドを舞台にした新しいキリスト教像を提示した物語で、この作品は後に映画化されています。

また、歌手の宇多田ヒカルは、この作品からインスピレーションを得て「Deep River」という楽曲をリリースしています。

まとめ

キリスト教作家として知られる遠藤周作は73歳で亡くなっています。

若い頃から数多くの病に悩まされながらも、軽妙な語り口で多くのファンを楽しませ、ユーモアあふれるエッセイなども書き残してきた彼の功績は現代においてもけっして色褪せることはないでしょう。

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