「金田伊功」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「金田伊功」の死に際とは?日本の人物

「金田伊功」というアニメーターの人生・仕事とその死に様について詳しく紹介していきます。

「金田伊功」とは?簡単に説明

金田伊功(かなだよしのり,1952~2009年)は、奈良県出身の日本の男性アニメーターです。

1970年、東映動画のアニメ「魔法のマコちゃん」でデビューしました。

1970年代を通して、「ゲッターロボ」「大空魔竜ガイキング」「惑星ロボ ダンガードA」などのロボットアニメで独自の作風(金田パース)を確立して人気を得ました。

メジャーな仕事としては1979年に劇場版「銀河鉄道999」の原画を作成してから、「サイボーグ009 超銀河伝説」「宇宙戦艦ヤマト」などの作品に携わりました。

1980年代にはトップ級のアニメーターとしての名声を得て、「金田びかり」という独特の作風に大勢のファンもついていました。

金田伊功のアニメーターとしての高い評価を不動のものにしたのは、1980年代からのスタジオジブリ作品の原画です。

誰もが知っているジブリのアニメ映画である「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」などの絵を描いたことで、アニメ映画界における巨匠的なポジションを得たのです。



「金田伊功」の晩年・死に様

「金田伊功」は宮崎駿監督が率いるスタジオジブリ作品の原画作成に精力的に携わった後には、1998年頃にスクウェア・エニックスに入社します。

「ファイナルファンタジー」の劇場版やゲーム内のムービー(アニメ動画)の制作を担当して、特に「ファイナルファンタジーXI」のムービーなどで才能を発揮しました。

2003年の「半熟英雄対3D」では、「金田びかりの作画」「ささきいさおのテーマソング」がコミカルにマッチしていて話題を呼びました。

ジブリアニメの後にスクエニ社のゲーム業界のムービー部門で活躍を続けていたのですが、2009年7月21日に「心筋梗塞」の発作を起こして急死してしまいました。



「金田伊功」の死に様の信憑性

「金田伊功」は現代を生きたアニメーターであり、「心筋梗塞による急死」という死に様の信憑性は高くなっています。

長寿化した現代人としては、「享年57歳」はかなり早死にとなりますが、アニメーターとしての多忙な日々で健康を崩しやすかったのかもしれません。

死後間もない8月30日に「金田伊功を送る会」が開かれて、庵野秀明やりんたろうなどが弔辞を読んでいます。

金田氏のファンも約300名が参加していて、長期間活躍しつづけた金田氏のアニメ・人物のファン層がいかに多かったのかが偲ばれます。

「金田伊功」の小ネタ等

「金田伊功」「金田びかり」と呼ばれる個性的な癖のある画風を持っていたため、スタジオジブリ作品の原画を描いていたときには、宮崎駿監督から愛情のこもった愚痴や批判を言われることも多かったようです。

宮崎駿が「邪道な作画ばかりするな」と注意した小ネタが残っています。

しかし、「風の谷のナウシカ」の作画において、宮崎駿は「金田伊功の描いたナウシカ」を一番気に入っていたともされています。

まとめ

アニメーターの「金田伊功」の人生や死に様を振り返って解説しましたがいかがでしたか?「金田伊功」の仕事・死に様・小ネタなどについて詳しく調べたいときは、この記事の内容をチェックしてみてください。

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