「ヘンリー8世」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「ヘンリー8世」の死に際とは?世界の人物

この記事では、「ヘンリー8世」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。

「ヘンリー8世」とは?簡単に説明

「ヘンリー8世」=“Henry Ⅷ”とは、テューダー朝第2代イングランド王、後にアイルランド王へと即位した人物です。

カトリック教会からのイングランド国教会の分離を行い、ローマ教皇庁と対峙、修道院の解散と国教会の主張へ自ら就任しました。

ブリテン王となった人物の中でも最もカリスマ性あふれる人物として描かれ、絶頂期には同年代の人から魅力と教養を兼ね備えた老練な王と見られていたようです。

しかし、晩年期には利己的で好色、無慈悲で不安定な王であったと伝えられています。



「ヘンリー8世」の晩年と最期

晩年、「ヘンリー8世」の肉体は肥えに肥えて肥満になっていたと伝えられています。

さらに、馬上槍の試合で負った傷の後遺症にも悩まされ、健康状態は悪化の一途をたどっていたようです。

そして、「ヘンリー8世」は1547年にホワイトホール宮殿にて55歳の生涯を終えました。



「ヘンリー8世」の死に様の信憑性

「ヘンリー8世」の異体はウィンザー城聖ジョージ礼拝堂に埋葬されました。

その後、王子であるエドワードがわずか9歳で王位を継承し、エドワード6世となりました。

「ヘンリー8世」には子女が3人いましたが、いずれも子に恵まれなかったため、テューダー朝は断絶します。

そして、スコットランドに嫁いだ姉「マーガレット」の曾孫であるステュアート朝「ジェームズ6世/1世」がスコットランドとイングランドの同君連合(=王冠連合)の柱となるのでした。

「ヘンリー8世」と6度の結婚

「ヘンリー8世」は6人の王妃を迎えましたが、その理由は男子が欲しかったためとも伝えられています。

まず、兄「アーサー」の寡婦「キャサリン」を娶り、子供を授かりますが、生き残ったのは6人中1人、娘の「メアリ」だけでした。

次に侍女「アン=ブーリン」を娶り、女子「エリザベス」を儲けます。

さらに、次も同じく宮廷に仕える女性だった「ジェーン=シーモア」と結婚し、待望の男児「エドワード」を授かりました。

その後も、ドイツ貴族の娘「アン」「キャサリン=ハワード」「キャサリン=パー」と婚姻を結んでいます。

まとめ

「ヘンリー8世」=“Henry Ⅷ”とは、テューダー朝第2代イングランド王、後にアイルランド王へと即位した人物です。

生前はカトリック境界との対立や6度にも渡る結婚を行い、イギリスの宗教改革を推し進めた人物です。

晩年は肥満と古傷の後遺症に悩まされ、健康状態が悪化していった後、1547年に55歳で崩御しました。

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