この記事では、サルバドール・ダリの晩年や最期について紹介します。
サルバドール・ダリとは?
サルバドール・ダリはスペイン出身で、シュルレアリスムを代表する画家として知られています。
絵画だけではなく彫刻や版画、舞台装置、衣装など幅広い分野の作品を残しており、映画制作にも携わっています。
妻のガラをモデルにした作品も多数あり、ガラはダリにインスピレーションを与え続ける存在でした。
ダリの代表的な作品には、「記憶の固執(柔らかい時計)」や「燃えるキリン」「ビキニの3つのスフィンクス」等があります。
サルバドール・ダリの晩年
サルバドール・ダリは晩年、スペイン王であるフアン・カルロス1世から大十字勲章を授与されました。
マルケス・デ・ダリ・デ・プポルという称号を与えられています。
プボルというのはジローナのプボル村にあるプボル城のことです。
ダリが妻であるガラに贈った城で、ダリは妻と共にそこで晩年を過ごしました。
しかし、1982年にガラが亡くなると、ダリはひどく落ち込みプボル城に引きこもるようになったといわれています。
ガラはダリにとってミューズのような存在で、2人の間には強い結びつきがありました。
ガラと初めて出会った頃、ガラはダリの友人であるポール・エリュアールの妻でした。
既婚者でしたがダリとガラは惹かれ合い、やがて正式に結婚しています。
ガラを失ったダリは憔悴し、自殺未遂を起こしたこともあったといわれています。
また、ダリは世事には疎く、借金を申し込まれるとどんどん貸してしまったといいます。
ガラの生前は、金銭面なども取り仕切っていたようです。
そのためガラがいなくなると、借金まみれになっていたというエピソードもあります。
サルバドール・ダリの死に様
1984年、ダリが80歳の時に火災に見舞われます。
寝室で起きた火災で、ダリは全身を火傷しました。
それがきっかけで、フィゲラスに住まいを移します。
そして、84歳の時にフィゲラスで心不全によって亡くなりました。
ダリの亡骸はフィゲラスのダリ劇場美術館に埋葬されています。
サルバドール・ダリの死に様の信憑性
最愛の妻ガラが亡くなった時、ダリはプボルの地下聖堂に埋葬します。
この地下聖堂はダリ自身がデザインしたもので、ガラの墓標の脇に自分自身の墓標を立てていました。
いずれは妻の隣で眠るつもりだったのでしょう。
しかし、火事にあってしまったためダリはプボルを離れています。
ダリの亡骸は自身の美術館の地下に埋葬されました。
まとめ
サルバドール・ダリは晩年、最愛の妻を失って悲嘆にくれていました。
そして心不全により84歳で亡くなっています。