アルコールの呪縛から逃れられなかった?「キム・ヒョンシク」の死に際とは?
この記事ではキム・ヒョンシクの晩年と死に際について解説していきます。
「キム・ヒョンシク」とは?簡単に説明
「金賢植」氏は1980年代を代表する韓国のアーティスト。
時には慈愛に満ちた、時にはパワフル、スタイリッシュなハスキーボイスの持ち主として有名です。
不幸にも若くして壮絶な最期を遂げた事がより彼の価値を高め伝説化させたと言っていいでしょう。
没後に発売されたアルバムは韓国の『ゴールデンディスクアワード』を受賞するほどの人気を誇りました。
経歴から漂う薄幸さと早逝は日本で言えば「尾崎豊」氏を連想させるものがあり、実際に例えられて紹介される事が多いようです。
「キム・ヒョンシク」の晩年
1986年には自身の代表曲にもなる『Like rain like music』をリリースしていますが、その晩年は決して順風満帆なものではありませんでした。
自身が開店させたピザ屋は終業。
また新たに組んだ自身のバンドの活動期間も短く解散させています。
なにより87年10月には薬物所持にり逮捕される憂き目にあってしまいました。
それでも音楽にかける情熱は持ち続けたもの89年に入ると体調不良から気力を失いかけてしまいます。
その理由は酷い倦怠感。
なんとか乗り越えるもこれ以降は病魔と戦っていく事になってしまいました。
「キム・ヒョンシク」の死に様
1990年11月1日17時20分、韓国・ソウルの自宅で死去。
32歳没。
死因は浴びるように飲酒した事から発症した肝硬変だと言われます。
「キム・ヒョンシク」の死に様の信憑性
英国のロックバンド「オアシス」の曲に『Cigarettes & Alcohol』がありますが、彼の生き様はそれに“drug”を加えたものだったと言っていいでしょう。
身体には決して良いとは言えない三種の神器、それぞれを深く嗜んでいました。
特にアルコール依存は度を越えていたと言われ肝硬変になるのも半ば止むなしと言っていいでしょう。
実際体調を崩して以降も止めるそぶりすら見せなかったとされます。
肝臓の調子は良くなく90年には微量のアルコールでも命取りになる状態だと半ば死亡宣告されてしまいました。
それでも病院を抜け出しては飲酒、同時にレコーディングスタジオに何回も足を運んで5thアルバムを完成。
溜飲を下げる事になりました。
まとめ
1990年11月1日17時20分頃、韓国・ソウルの自宅で急逝。
32歳没。
死因は肝硬変によるものでした。
具体的な事については公表されていませんが、既に数年前から喀血を起こすほど症状は悪化していたと言います。
死の数時間前に関係者と電話で会談。
体調が良い事をアピールしていたとされ、死は突然のものだったと想像できます。
数時間前まで健在だったにも関わらず、自宅で急死した事から食道胃静脈瘤破裂による出血死や喀血による窒息死ではないかと推測されます。