貧しい人々のためにその身を捧げた聖女(?)「マザー・テレサ」はどのような最期を迎えたのでしょうか?
この記事では、「マザー・テレサ」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「マザー・テレサ」とは?簡単に説明
「マザー・テレサ」はカトリック教会の修道女であり、修道会「神の愛の宣教者会」を創設した人物です。
貧しい人々の救済に生涯を捧げ、その功績に対して、カトリック教会では聖人に並べられる他、ノーベル平和賞など多くの誉れ高い賞を贈られています。
若くして修道女となった「マザー・テレサ」はインドへと派遣され、現地の聖マリア学院で地理・歴史を教えていました。
しかし、インドがイギリスからの独立や宗教戦争で混迷を極める中、貧しく苦しむ人々の姿を目にした彼女はひとりスラム街での奉仕活動に身を投じるのでした。
「マザー・テレサ」の晩年と最期
貧しい子供たちのための無料授業から始まった奉仕活動はやがて多くのボランティアや寄付を集めていきます。
そして、「マザー・テレサ」は貧しい人々の救済のために「愛の神の宣教者会」を設立、その活動はインドから世界へと広がっていくのでした。
1983年、「マザー・テレサ」は当時のローマ教皇と会見をするためにローマへ向かいますが、そこで心臓発作を起こしてしまいます。
体力に衰えを感じた「マザー・テレサ」は一度、総長職の辞任を申し出ますが、会員たちの強い支持を受け、再び総長職に選ばれました。
しかし、その後も転倒して首の骨を傷めたり、マラリアへの感染、心臓病の手術を受けるなど立て続けに健康状態を害し、1997年に総長職を辞任しました。
そして、同年9月13日、カルカッタのマザーハウスにて息を引き取ります。
享年87歳でした。
「マザー・テレサ」の死に様の信憑性
死因は老衰の可能性が高いです。
「マザー・テレサ」は聖女だったのか?
慈悲深く、高潔な女性として名高い「マザー・テレサ」ですが、一方で彼女の活動内容の実態を告発する声もあるようです。
・「マザー・テレサ」本人をはじめ、医学的知識を持たない修道女やボランティアによって然るべき医療が行われていたのか疑わしいこと。
・施設内での衛生管理や医療機器の管理が杜撰であったこと。
・意思決定の難しいヒンドゥー教やイスラム教の末期患者に対して、密かに洗礼を施し、一方的にカトリックへと改宗させていたこと。
その他、独裁者や黒い噂がささやかれる人物との関わりがあり、膨大な資金提供などを受けていたことなどが挙げられています。
まとめ
「マザー・テレサ」は「神の愛の宣教者会」を設立し、貧しい人々の救済のために活動した人物です。
インドのスラム街から始まった彼女の奉仕活動はやがて世界へと広がり、世界からは多くの寄付が集められました。
晩年に至っても「マザー・テレサ」の活動は続き、1997年9月13日にカルカッタのマザーハウスにて87年の生涯に幕を下ろしました。
ちなみに、本名は「アグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ」、もしくは「アニェゼ/アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ」であり、「マザー・テレサ」という名は彼女が尊敬する修道女「リジューの聖テレーズ」からとった修道名に敬称の「マザー」をつけたものです。