「シド・ヴィシャス」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「シド・ヴィシャス」の死に際とは?世界の人物

パンクバンド「セックス・ピストルズ」のメンバーだったシド・ヴィシャスの死因とは?

「シド・ヴィシャス」とは?簡単に説明

1957年イングランドの首都ロンドンで生まれたシド・ヴィシャスは、イギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」のメンバーで、その波乱に満ちた人生はパンク・ムーブメントの伝説として語り継がれています。

元々、セックス・ピストルズの熱狂的なファンだったシドは、ライブ中にピストルズの姿が見えにくいと言って記者を叩きのめしたり、興奮のあまりグラスを他のファンに投げつけるなどの蛮行が目立っていた人物でしたが、同バンドのベーシストに空きが出たことにより運よく後任を務めることになりました。

1977年には、バンドがリリースした唯一のオリジナルアルバム「勝手にしやがれ!!」の大ヒットにより絶頂期を迎えますが、翌年にはバンドメンバー間の確執などによりセックス・ピストルズは解散することになります。

このころになるとシドは、ヘロイン中毒により身体は痩せ細って衰弱してしまっており、ライブパフォーマンスにも悪影響を及ぼしていたそうです。

その後もステージには立ち続けたシドでしたが、自身最後のライブの後に、ヘロインなどのオーバードーズにより、急遽入院することになってしまい、ついに1979年2月2日、麻薬の過剰摂取によりわずか21歳で死亡しています。



「シド・ヴィシャス」の死に様

晩年のシド・ヴィシャスは、自殺未遂騒動を起こしたり、アメリカのシンガーであるパティ・スミスの弟をビール瓶で殴るなどの騒ぎを起こしています。

1979年2月2日、ヘロインなどの過剰摂取により死亡したシドですが、当時長い期間に渡って収監されていた彼の身体からはほぼ完全にヘロインが抜けきっていました。

しかしながら、その浄化されていたはずの身体に、高純度のヘロインを大量に摂取してしまったことにより、急性中毒症状を起こして死亡してしまったシドは、着ていた革ジャンのポケットから遺書が発見されています。

そして彼が最期を迎えることになってしまった一因となるこの時使ったヘロインは、死亡した日にシドに哀願されたことによりやむなく彼の母親が直接手渡したものだったと言われています。



「シド・ヴィシャス」の死に様の信憑性

1978年10月、ニューヨークにあるチェルシーホテルのバスルームでシド・ヴィシャスの当時の恋人ナンシー・スパンゲンの死体が発見されています。

殺害に使用された凶器のナイフがシドの所有物であったことから、一旦は逮捕されますが、証拠不十分により釈放されています。

また、シドはナンシーが殺害された時刻には、睡眠薬ツイナールの過剰摂取により昏睡状態となっていたことが確認されており、服用した量から判断するとナンシーが殺害された時間を含め、5時間は昏睡状態であったことからアリバイが成立していたとも言います。

さらにシドは睡眠薬による昏睡状態から脱した後、自身のそばで血まみれで亡くなっているナンシーを見つけて、自分でフロントに報告しており、シドの死後、彼が書いたとされる遺書には「ナンシーと一緒に死ぬ約束をしていたから、彼女のそばに埋葬してほしい」という一文がしたためられていたそうです。

「シド・ヴィシャス」の小ネタ等

「シド・ヴィシャス」という芸名は、セックス・ピストルズのギタリストであるスティーヴ・ジョーンズが昔飼っていたハムスターの名前から付けられた名前だそうです。

まとめ

21年という大変短い生涯を走り抜けたシド・ヴィシャスのカリスマ性と過激なパフォーマンスは、現在においても色あせることなく、ファンの心の中で生き続けていることでしょう。

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