「やなせたかし」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「やなせたかし」の死に際とは?日本の人物

人気アニメ「アンパンマン」の作者であるやなせたかしの死因とは?

「やなせたかし」とは?簡単に説明

大正8年に現在の東京都北区で誕生したやなせたかしは、漫画家や絵本作家として知られる人物で、人気アニメ「アンパンマン」の生みの親として知られています。

子供の頃、父親の転勤により中国の上海に移住しますが、父の死後、帰国することを余儀なくされたため、高知県に移り住むことになりました。

中学に上がる頃から絵に関心を持ち始めたやなせは、現在の千葉大学工学部デザイン学科に進学して本格的にデザインを学び始め、卒業後は東京田辺製薬に就職します。

その後、日中戦争の際に徴兵されたことで中国戦線に出征することになり、戦地ではそれまで学んできたことを活かして紙芝居などを作って地元民に向けて演じたりしていたと言われています。

このように戦闘員として配属されていたのではなく、主に暗号の作成や解読を担当していたやなせは、終戦後は高知新聞に就職し、結婚を機に漫画家を志すようになりますが、日の目を浴びるまでには時間がかかってしまいます。

そして昭和44年、やなせが50歳の時に「アンパンマン」を発表しますが、当時は子供向けの作品ではなく大人向けの作品として始まりました。

昭和63年には、テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放映が開始されることになり、この番組の大ヒットにより、その人気を不動のものにして、漫画の復興にも注力していきますが、平成25年10月13日、かねてより体調を崩していたやなせは、心不全のため94歳で死亡してしまいます。



「やなせたかし」の晩年

やなせたかしは50歳のときに生み出したアンパンマンがヒットしたあたりの時期から少しずつ体調を崩しており、60代の末期には腎臓結石、70代には白内障や心臓病、80代には膵臓炎やヘルニア、緑内障、腸閉塞、腎臓癌、膀胱癌など、そして90代には腸閉塞が再発し、肺炎や心臓病の再発という過酷な病歴を重ねていました。

その中でも膀胱癌は治癒後に10回以上も再発しており、そのあまりにも長きにわたる闘病生活は彼の心身を衰弱させていきました。

アニメアンパンマンに出てくる多くのキャラクター同様、とてもユニークで元気が良い漫画家を演じ続け、陽気なイメージが強いやなせは、自身の晩年には老人のアイドル「オイドル」であると自称して自身を奮い立たせていたようにも見受けられています。

平成23年には、元気なうちにやっておきたいと、自身の生前葬を企画しますが、東日本大震災が発生したことで休止になってしまいました。



「やなせたかし」の死に様

平成25年8月に体調を崩して入院したやなせたかしは、同年の10月13日、心不全のため94歳で亡くなってしまいます。

自身が50代の末期を迎えた時期にアンパンマンが大ヒットしたやなせでしたが、60代の末期から90代にかけての20年以上に渡り、数多くの病に悩まされており、腸閉塞と心臓病はそれぞれ2回ずつ、膀胱癌は10回以上も再発しています。

また、これらに加えて白内障やヘルニア、肺炎、腎臓がんなども罹患しており、晩年における壮絶な闘病生活は筆舌に尽くしがたい内容だったと言います。

そんな状況の中でも、東日本大震災後にはアンパンマンのポスターを被災地のために書き下ろして復興を支援するなどの活動を続けていましたが、最後は心不全により亡くなっています。

「やなせたかし」の死に様の信憑性

平成25年6月頃から本格的に体調を崩し始めたやなせたかしは、アンパンマンの制作スタッフに対して、『来年までに俺は死ぬんだよね。

朝起きるたびに、少しずつ体が衰弱していくのが分かるんだよね。

まだ死にたくねぇよ。

(ようやく人生が)面白いところへ来たのに、俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ』などと発言していたそうです。

アニメの舞台挨拶や数々のインタビューにおいては、常に笑顔でにこやかに受け答えをしていたやなせでしたが、実際の体調は悪化の一途を辿っており、その苦しい胸の内をスタッフに吐露してしまっていたのでした。

まとめ

令和になった現在においても、子供たちに夢や希望を与え続けるアンパンマンの生みの親であるやなせたかしの功績は、計り知れないほど大きなものだったと言えるでしょう。

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