「マリ・キュリー」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「マリ・キュリー」の死に際とは?世界の人物

この記事では、マリ・キュリーの晩年や最期について紹介します。

マリ・キュリーとは?

マリ・キュリーとはポーランド出身の物理学者及び化学者で、ノーベル物理学賞とノーベル化学賞を受賞したことで知られています。

放射能の研究に没頭し、ウラン鉱石からラジウムを夫のピエール・キュリーと共に発見しました。

夫の亡き後も研究を続け、今度は単独でポロニウムを発見します。

ポロニウムという名前は、マリ・キュリーが生まれたポーランドにちなんで名づけられました。

日本ではキュリー夫人と呼ばれることもあります。



マリ・キュリーの晩年

2度目のノーベル賞を受賞した後、マリ・キュリーはワルシャワの放射能研究所とパリのラジウム研究所の設立に携わりました。

その後、第一次世界大戦が勃発したため研究は難しくなりますが、X線検査版を組織して医療活動にも取り組みました。

そして戦争が終結すると、ラジウム研究所において研究を再開します。

研究所には性別や国籍を問わず様々な人材が集まっており、マリ・キュリーは積極的に彼らの指導に当たりました。

マリの周りには優秀な研究員達が集まっており、着実に研究の成果を上げていきました。

その一人がマリ・キュリーの娘イレーヌで、夫のフレデリックと共に人工放射能の研究を行います。

イレーヌとフレデリックは、1935年にノーベル化学賞を受賞しました。

ラジウム研究所からは多数の論文が発表されています。



マリ・キュリーの死に様

マリ・キュリーは研究や後進の指導を続けていましたが、原因不明の体調不良に悩まされるようになります。

結核ではないかと疑われましたが肺に異常は見つからず、再生不良性貧血と診断されます。

そしてさらに症状が悪化し、66歳で亡くなりました。

マリ・キュリーの死に様の信憑性

マリ・キュリーの死因は、長期間放射線にさらされ続けたことによる白血病と考えられています。

放射線の危険性が知られていなかったため、研究の際に防護措置などはとられていませんでした。

そのため白内障によって視力をほとんど失ってしまったり、指先が黒ずんだりもしていたようです。

耳鳴りにも悩まされていました。

また、研究所のスタッフの中にも白血病や再生不良性貧血で亡くなった人が多くいます。

段々と放射能の危険性が知られるようになってきましたが、マリ・キュリー自身はそれを認めようとしなかったといわれています。

まとめ

マリ・キュリーは晩年も研究や後進の指導に没頭しますが、長年の研究で放射線にさらされ続けたため白血病を発症して亡くなっています。

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