アイスキュロスは、古代ギリシアの作家として知られる人物です。
アイスキュロスの晩年と最期について紹介します。
アイスキュロスとは?
アイスキュロスは、紀元前525年頃に古代アテナイの郊外エレシウスに誕生します。
ギリシアの首都アテネは古代、アテナイと呼ばれていました。
そこで貴族階級に属していた地主のエウリポリオーンの息子として生まれます。
かなり古い時代の人物なので、その一生について分からないことも多くあります。
20代から作劇を始めたと言われており、生涯で90編の作品を残したとされます。
ただし、その作品の多くは残されてはいません。
アイキュロスの晩年
アイキュロスはディオニュシア祭に何度も参加しており、数多くの劇が上演されました。
大会形式になっていて、3つの悲劇と1つの滑稽なサテュロス劇を上演します。
優勝者は聴衆の投票によって決められていました。
アイキュロスは、13回も優勝したといわれています。
聴衆を惹き付ける作品だったのは間違いありません。
しかし、残念なことに現在まで残っている作品は7つだけです。
それ以外の作品は残されてはおらず、タイトルのみ伝えられています。
また、アイキュロスにはエウリポリオーンという息子がいますが、エウリポリオーンも作家となっています。
ディオニュシア祭で優勝したこともあります。
アイキュロスの最期
アイキュロスが亡くなったのは、紀元前456年頃とされます。
アテナイからシチリア島のゲラに移り住んでいました。
ゲラは現在のイタリアのジェーラという都市になります。
アイキュロスの死因はとても珍しいもので、亀が空から降ってきて頭にぶつかりその衝撃で亡くなったといわれています。
亀を落としたのはヒゲワシで、亀を岩などにぶつけて甲羅を割り中身を食べる習性がありました。
よほど大きな衝撃だったのか、打ち所が悪かったのかアイキュロスは69歳で亡くなりました。
あり得ないことが起こるという意味で、アイキュロスの亀という諺が生まれたといいます。
アイキュロスをめぐる逸話
アイキュロスの代表作には、オレスティア三部作があります。
「アガメムノーン」「供養する女たち」「慈しみの女神たち」の3編で構成されています。
トロイア戦争で活躍したアガメムノーン一族の悲劇を描いた作品です。
日本でも翻訳された作品が出版されており、古代ギリシアを舞台にした壮大な物語が展開されます。
アイキュロス作品の特徴は比喩表現が大胆で、正義とは何かといった哲学的なテーマが多いことです。
栄光を掴んだ後に破滅する人生なども描かれています。
その他にも「テーバイ攻めの七将」や「ペルシア人」「救いを求める女たち」といった作品を残しています。
まとめ
アイキュロスは、古代ギリシアの悲劇作家として90編もの作品を書きました。
現在も伝えられているのは、そのうちの7作品だけです。
そして69歳の時に、亀が頭にぶつかって亡くなるという非常に珍しい死を遂げます。