撮影中のアクシデントが命取りになった?「ブランドン・リー」の散り際とは?
この記事ではブランドン・リーの晩年と散り際について解説していきます。
「ブランドン・リー」とは?簡単に説明
中国名「李國豪」ではピンとこないかも知れませんが、本名は「ブランドン・ブルース・リー」。
かの「ブルース・リー」氏の長男であり、父の死後に香港から米国カリフォルニア州ロサンゼルスへと移住しています。
大学在学中に父の跡を追う形で俳優を志すと20歳で香港でデビュー。
22歳の時には映画初出演かつ初主演を果たしています。
父を遥かに上回る体躯によるアクションと父譲りのオーラを兼ね備えた次世代のスターとして将来を嘱望されることになりました。
「ブランドン・リー」の晩年
1991年に『ロッキー4』のドラゴ役で日本でも人気のある「ドルフ・ラングレン」氏と共演。
92年には『ラピッド・ファイアー』のジェイク・ロー役が3作品目の主役となりました。
映画初主演作はカーチェイスや銃撃戦が多く、アクションは控えめでしたが、同作では父譲りのカンフー・アクションが人気となり、続編の製作も予定されるほどになりました。
順調にスターダムを歩み、カンフーアクションでも評価を得たことで新たな『ドラゴンシリーズ』の期待も高まりつつありました。
スターへの階段を順調に登っていたブランドン氏。
しかし思いもよらぬ災難が彼の身に降りかかることになります。
「ブランドン・リー」の死に様
1993年3月31日、ノースカロライナ州ウィルミントンでの撮影中に起きたアクシデントにより腹部に致命傷を負ってしまいました。
病院へ緊急搬送されて手術を受けるも回復には至らず死亡しています。
28歳没。
「ブランドン・リー」の死に様の信憑性
2016年に「マイケル・マッシー」氏が亡くなった際に1993年に起きた事件は掘り返されることとなりました。
本番撮影時に監督の「アレックス・プロヤス」氏が演出を変更し、彼に銃撃を指示しています。
リハーサルでは彼は銃すら持たないシーンでした。
本番で急に銃を用意することになったがための悲劇だったと言えるでしょう。
当初の予定通りであれば銃は用意される段階でチェックされていた可能性は高かったと言えます。
死亡事故に使われた拳銃はリボルバー式のものでした。
ダミー弾が装填されていなければ、リアリティに欠ける部分もあるのは事実でしょう。
不幸だったのはダミー弾の弾頭から外れたことだったとも言えます。
ブランドン氏が病院に搬送された後の容態はほとんど公表されていません。
まとめ
1993年3月31日、ノースカロライナ州で人気漫画『クロウ』の実写映画『クロウ/飛翔伝説』の本番撮影中にダミー弾の弾頭部分を腹部に受けました。
直ちにウィルミントンの病院に緊急搬送されて手術を受けるも帰らぬ人となっています。
父ブルース氏が32歳で早逝していますが、ブランドン氏はさらに若い28歳で永眠することになりました。
明確な死因については公表されておらず、撮影用の拳銃の誤射による死亡が大きくクローズアップされるばかりでした。