レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス期を代表する画家の一人です。
建築や数学、解剖学、物理学などあらゆる分野の学問に秀でており、発明品も残しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年と最期を紹介します。
レオナルド・ダ・ヴィンチとは?
レオナルドは、フィレンツェ領であったヴィンチ村に公証人ピエロの庶子として誕生します。
13歳頃に画家のヴェロッキオの工房に弟子入りし、絵画や彫刻の制作に携わりました。
すぐに師であるヴェロッキオをしのぐ腕前になったといわれています。
「受胎告知」や「最後の晩餐」といった名作を世に送り出します。
また、チェーザレ・ボルジアの元で軍事土木の技術者として活動したこともあります。
科学的な研究や運河の構築なども行っており、「万能の人」と呼ばれています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの晩年
レオナルドは晩年、フランスの国王だったフランソワ1世に招かれて邸宅を与えられます。
クロ・リュセ城のクルーの館と呼ばれる邸宅で、フランソワ1世の居城であったアンボワーズ城の近くにありました。
亡くなるまでこの館で余生を送っています。
フランソワ1世から年金も受け取っており、弟子や友人に囲まれた暮らしでした。
フランソワ1世がレオナルドから購入した作品の一つに、「モナ・リザ」があります。
世界で最も有名な絵画と言われ、現在はルーブル美術館で展示されています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの最期
レオナルドは、晩年を過ごしたクルーの館で亡くなりました。
享年67です。
フランソワ1世の腕の中で亡くなったという説もありますが、これは創作されたエピソードのようです。
レオナルドの死因は脳梗塞でした。
また、遺言を残しており、レオナルドの遺産は弟子であるフランチェスコ・メルツィが大半を相続しました。
友人や使用人、異母兄弟たちにも遺産を残しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチをめぐる逸話
レオナルドが興味を持った分野は幅広く、解剖学・植物学・材料工学・数学・幾何学・力学・地質学・地理学・動物学・生理学などありとあらゆる分野に及びます。
チェーザレ・ボルジアに仕えていた時には、要塞を建築するために地図を製作しています。
当時の地図は極めて貴重で、チェーザレ・ボルジアの軍事的な戦略に多いに役立ちました。
また、レオナルドはオスマン帝国のスルタンであったバヤズィト2世のために橋を設計しています。
この橋は200メートルにも及ぶ大規模なもので、ボスポラス海峡の入り江にある金角湾に架けられるはずでした。
しかし、当時はそんな大規模な橋は無理だとして実現することはありませんでした。
その後、2001年にノルウェーでレオナルド・ブリッジ・プロジェクトが計画され、レオナルドがデザインした橋は実際に建造されています。
まとめ
レオナルド・ダ・ヴィンチは、晩年をフランス国王であるフランソワ1世から与えられた邸宅で過ごします。
そして67歳で亡くなりました。