世界中の男性を虜にしたマリリン・モンローの生涯は、映画の主人公のように波乱万丈なものでした。
36歳という若さで亡くなったマリリン・モンローの晩年と最期について紹介します。
マリリン・モンローとは?
マリリン・モンローはロサンゼルス生まれで、幼少期は孤児院や里親の元で過ごすなど不遇でした。
10代の頃にピンナップモデルとなり、女優を目指してハリウッドに行きます。
1953年に公開されたスリラー映画「ナイアガラ」に出演すると、腰を振って歩くモンローウォークが注目され話題を集めました。
そして立て続けに「紳士は金髪がお好き」や「七年目の浮気」といった映画に出演し、大ヒットを記録してトップスターの階段を駆け上がります。
その時代のセックス・シンボルとして知られるようになりました。
マリリン・モンローの晩年
ハリウッドでトップスターとなったマリリン・モンローでしたが、性的魅力たっぷりで男を翻弄する女性という役どころしかオファーが来ないことに不満を感じていました。
セックス・シンボルから抜け出したいと感じ、俳優養成所で演技指導を受けるなど演技を磨くことに精力を傾けます。
その努力もあり、晩年に出演した作品では演技力が高く評価されています。
1959年に出演した「お熱いのがお好き」では、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞しました。
マリリン・モンローの最期
マリリン・モンローは長年うつ病に悩まされており、晩年は精神的に不安定になることが多くありました。
映画の撮影をすっぽかすこともあったといいます。
薬物に頼ることも多かったようです。
そして、マリリン・モンローは36歳の時、睡眠薬を大量に服用したことによるバルビツール中毒で亡くなっています。
当初は自殺ではないかと大々的に報道されましたが、検視の結果では自殺や他殺ではないと断定されました。
マリリン・モンローの死に関する噂
マリリン・モンローの死は衝撃的だったので、自殺説は根強く残っていました。
出演予定だった映画を降板させられたというのが理由ですが、実際のところは復帰することが決まっていたので悲観する理由にはなりません。
また、ミュージカルに出演する予定もあったといいます。
また、暗殺説なども唱えられましたが、根拠は薄く事実ではないと考えられます。
マリリン・モンローをめぐる逸話
マリリン・モンローは、生涯で3度結婚しています。
最初の結婚は16歳の時で、整備工として働いていた男性です。
2度目の結婚はメジャーリーグで大スター選手として活躍していたジョー・ディマジオで、二人が新婚旅行で日本を訪れたのはとても有名なエピソードとして知られています。
3度目の結婚は劇作家のアーサー・ミラーですが、数年で離婚しています。
まとめ
マリリン・モンローは女優としてハリウッドで大成功をおさめますが、プライベートでは薬に頼るなど精神的に不安定でした。
そして睡眠薬を大量に飲みすぎて、36歳という若さで亡くなったのです。