「くそー、信じられないぜ」優男からワイルドなおっさんまで演じきった野沢那智の晩年と死に際について解説。
「野沢那智」とは?簡単に説明
二枚目キャラクターや男優の声を吹き替えであてていることでよく知られていたのが「野沢那智」氏です。
実際「アラン・ドロン」「アル・パチーノ」「ダスティ・ホフマン」など70年代前半から後半にかけての世界的二枚目俳優の吹き替えを担当しています。
その傾向はアニメにおいても見られ『ベルサイユの薔薇』の「フェルゼン」『新エースを狙え』の「宗方仁」など女性漫画の美形キャラクターの担当もしていました。
また劇団薔薇座主宰するとともにオフィスPACを創設し、行進の育成にも力を注いでいたことで知られています。
「野沢那智」の晩年
晩年は大御所声優であるがゆえのギャラの高騰により活躍する機会自体は減っていましたが、自身が設立したオフィスPACで後進の育成にあたっていました。
賢プロダクションの株式会社後に声優としてもオフィスPACに移籍。
2008年には自らの売り込みも叶い、約25年ぶりに『スペースコブラ』のコブラを演じる事も決定し話題をよびました。
しかし好事魔多し、翌2009年後半から体調を崩し病魔に蝕まれることになるのでした。
「野沢那智」の死に様
2009年に入ると体調の悪化の兆しがあり、後半には完全に体調を崩したことで仕事を休業宣言しており、記憶に留めている方も多い事でしょう。
翌2010年の夏まではオフィスPACで後進の指導にあたっていたものの精密検査で肺がんが発覚。
8月から入院し抗がん剤治療を行いましが快方には至りませんでした。
おおよそ3ヶ月の闘病を経て転院しますが、それは終末医療と言っていいもので4日後の2010年10月30日にその生涯を閉じています。
享年72。
「野沢那智」の晩年を補足
野沢氏の代名詞であったアラン・ドロン、アル・パチーノ、ダスティ・ホフマンが映画の第一線から退いていった一方で、その反対のイメージ像でもあるダイハードのジョン・マクレーン/ブルース・ウィリスで新境地を切り開きました。
このヒットが皮肉にもギャラの高騰を呼ぶことになり、逆に活躍の幅が狭くなっていくことになりました。
それにより90年代半ば以降は声優よりも演出家、実業家としての側面を強めていきます。
まとめ
野沢那智氏は2010年10月28日に72歳で亡くなっています。
死因は肺がんとされ、前年の後半に体調を崩されてから一年の闘病生活でした。
その代名詞とも言われる吹き替え役のアラン・ドロンやアル・パチーノは既に俳優としての旬を過ぎていたこともあり、代替役は立てられず今もなお野沢那智氏の声は生きていると言っていいでしょう。
また特定の1人の声優が代替役を務めておらず、各作品ばらけて引き継がれているのも特徴です。
ギャラの高騰や後進の育成もあり出演数が90年代半ばには既に絞られていたため、引き継ぎがされた作品数は実はそれほど多くありません。