新ブルースの女王「浅川マキ」の散り際とは?
この記事では浅川マキの晩年と散り際について解説していきます。
「浅川マキ」とは?簡単に説明
没後も彼女の音楽を辿る特集番組は不定期に放送されています。
22年の年末から23年年始にかけて2つの番組が流され、うち1つは全国放送に加え、約2時間に渡る大ボリューム。
プロデューサーもされた寺本幸二氏らが出演し、彼女の音楽を満足するまで堪能できた方も多いことでしょう。
ステージ、ライブ公演を主体に90年代後半まで続いた大晦日公演は語り草になりました。
その一方でCDの音質に懐疑的だったのは有名な話。
これにより存命中はなかなか気軽に音楽を耳にすることは難しかった歌い手の一人だと言えるでしょう。
「浅川マキ」の晩年
『新宿 PIT INN』をライブ活動の本拠地として腰を据えつつ、地方でライブ活動を精力的に行っており、生涯最後のライブは名古屋でのジャズハウス3DAYS公演となりました。
前述したとおり、CDの音質に懐疑的だったのは変わっておらず、2007年にベストアルバムである『DARKNESS IV』が発売されていますが、レコードプレーヤーを持っていない人にとっては聴くのが相変わらず困難な状況でした。
「浅川マキ」の死に様
名古屋『Jazz inn Lovely』3DAYS最終日の1月17日。
いつまでたってもリハーサルに姿を現さないため、心配したライブ関係者がホテルに連絡。
従業員がホテルに向かうもチェーンがかかった状態だったと言います。
室内に入り確認したところ浴室で浴槽に顔をつけた状態で倒れているのが発見されました。
中区のホテルから昭和区の名大付属病院に搬送され、死亡が確認。
2010年1月17日20時没。
死因は急性心不全によるもの、67歳でした。
「浅川マキ」の死に様の信憑性
名古屋『Jazz inn Lovely』でのライブ公演は前年1月も同様のスケジュールが組まれており、恙なく10年のライブも中日を終えています。
今回のライブでもピアノを担当していた渋谷毅氏が最終日の昼に更新した時ブログによれば、初日寝不足で体調が良くないと語っていたそうです。
この時にはまだ彼女の死を知っている人は誰もいませんでした。
19日のブログで16日の彼女の様子が記されています。
当日ライブの出来がよくご機嫌で、最終日の集合は少し遅れてもいいかもと告げていたそうです。
このため渋谷氏は集合時間に遅れてもそれほど気にしてはいなかったと語られています。
まとめ
浅川マキ氏は2010年1月17日20時に永眠しています。
67歳没。
死因は急性心不全によるものでした。
17日0時に中区のホテルに帰り、ホテルの従業員に発見されたのは19時46分でしたから、実際にはその間に亡くなっていることになります。