市川右太衛門は、戦前・戦後に活躍した時代劇のトップスターです。
映画「旗本退屈男」に主演し大人気となりました。
市川右太衛門の晩年と最期を紹介します。
市川右太衛門とは?
市川右太衛門は幼い頃から日本舞踊を習い、6歳で歌舞伎の舞台に子役としてデビューします。
二代目市川右團次の弟子となり、市川右一を名乗りました。
徐々に大役を任せられるようになりますが、18歳の時に映画界に誘われマキノ・プロダクションに入社します。
市川右太衛門と改名すると、「黒髪地獄」という映画でデビューを果たしました。
瞬く間に人気俳優となります。
代表作は「旗本退屈男」で、主人公の早乙女主水之介役を演じると30年に及びシリーズ化されました。
市川右太衛門の晩年
市川右太衛門は、映画製作会社である東映の設立に関わりました。
取締役を兼任しながら自らも映画に出演します。
市川右太衛門の当たり役だった旗本退屈男シリーズも数多く制作されました。
それ以外の時代劇にも出演しています。
しかし、時代劇映画は年々人気が低迷し、時代劇スター達は現代劇に転身したり脇役を演じるようになったりしていきました。
市川右太衛門はあくまでも主演にこだわり、舞台に活躍の場を見出します。
テレビドラマに出演したこともありますが、あまり好んでいなかったといいます。
ただし、市川右太衛門の次男である北大路欣也が主演するドラマに、特別出演したこともありました。
東映を退社した後も、舞台を中心に活動を続けます。
80歳を超えてからも主役を演じています。
本人は100歳になっても旗本退屈男を演じたいと語っており、ウォーキングやジョギングなども行っていました。
市川右太衛門の最期
市川右太衛門の最晩年は、妻と共に千葉県にある老人ホームに入居していました。
妻の足が不自由になったため、二人で暮らすのは難しいだろうと子ども達で話し合って入所を決めたといいます。
子ども達から同居を提案されたこともありましたが、本人たちは自立した生活を望んだといいます。
そして92歳の時に老衰で亡くなりました。
この際、次男の北大路欣也は、父親を老人ホームに入居させていたことをバッシングされています。
今では高齢になって老人ホームに入居するのは珍しくないことですが、当時は子どもと同居するのが当たり前という風潮がありました。
そのため大スターを施設に入れるなんてという意見を持つ人も多かったのです。
市川右太衛門をめぐる逸話
市川右太衛門は、主役にこだわった俳優として知られています。
長年にわたって数多くの映画に出演しましたが、脇役で出演したことは一度もありません。
また、役作りも徹底しており、代表作の「旗本退屈男」ではプライベートでも役柄になりきって生活していたといいます。
まとめ
市川右太衛門は80歳を過ぎても舞台で活躍し、主役を演じ続けました。
その後は妻と共に老人ホームに入居し、92歳で老衰により亡くなっています。