「山田康雄」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「山田康雄」の死に際とは?日本の人物

ハリー・キャラハンとルパン三世、刑事と大泥棒を演じた「山田康雄」の晩年と死に際を解説。

「山田康雄」とは?簡単に説明

ルパン三世のテレビシリーズで一番人気があり、放送回数が多いのはテレビの第2シリーズです。

この2期で山田氏はルパン三世のキャラクターを確立させ、それが現在まで伝わっているといいでしょう。

独特の台詞回しはこのシリーズで確立されると同時に山田氏本人のキャラクターが強く反映されていくことになりました。

それと並ぶのが『ダーティハリー』の「ハリー・キャラハン」でアドリブの混じった独特の呟きで視聴者に強い印象を残しています。

山田氏は2つの役柄の印象が強すぎ、他の仕事にも影響を与えるほどでした。



「山田康雄」の晩年

ダーティハリーシリーズの終了とルパン三世の声優変更問題が80年代末に起きましたが、これらは解決。

イーストウッド主演の他作品の吹き替え及びルパン三世役にも一作品のみで復帰する事となりました。

しかし平成に入るとすぐに体調を崩してしまいます。

これが大病の兆しとなり、その後は病魔に身体を蝕まれていくのでした。



「山田康雄」の死に様

93年の春に低カリウム症で入院して以降は身体が衰弱していき、同年のルパン三世の新作『ルパン暗殺指令』のアフレコは途中から椅子に座って収録が行われています。

また94年春公開の「ケビンコスナー」とクリント・イーストウッドのダブル主演で話題になった『パーフェクト・ワールド』の吹き替え及び初夏の『燃えよ斬鉄剣』のアテレコでも体調の悪さが明らかとなりました。

特に初夏の収録となったルパン三世テレビSPではスタジオ入り口の段差が越せないほどに肉体的に弱っている事が目撃されています。

約半年後の95年1月に『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』の予告編及びエッソ石油のCM収録の際には既に自力で歩行できず車椅子に乗って収録を行いました。

同年2月17日に脳出血で倒れるとそのまま意識は戻らず昏睡状態に陥ります。

闘病生活は1ヶ月に及び小康状態のため、看病の家族が一度帰宅した18日夜に容体が急変、臨終には誰も間に合うことができずにその生涯を閉じました。

満62歳、享年64歳。

死を予感していた?「山田康雄」

死因は脳出血で倒れた時から予断を許さないものでしたが、その遠因となったのが低カリウム症だと言っていいでしょう。

93年春に罹患して以降病状は悪化の一途をたどり、歩行困難になったことも相まって本人は早い時期から死期を予感していたと言われています。

自宅の机からは「ハヤイハナシガイショ」と書かれた家族宛の遺書が見つかったほか、関係者には冗談まじりに自分がそう遠くないうちに亡くなる事を話したとされています。

まとめ

山田康雄氏は1995年1月17日に脳出血で倒れ、闘病生活1ヶ月を経た同年2月19日早朝に亡くなりました。

この翌日の朝『地下鉄サリン事件』が起きており、各メディアはその報道に追われ山田氏の逝去を取り上げた番組も緊急特番で深く扱うことができませんでした。

このため訃報を後日知った方も多いと言われています。

ルパン三世役の後任は当時山田氏の物真似を売り物にしていた「栗田寛一」氏となり、クリントイーストウッドは「野沢那智」氏が引き継いでいます。

遺作はエッソ石油CM『ルパン三世シリーズ・ルパン三世&峰不二子』並びに『ルパン三世&銭形警部』となりました。

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