昭和の大スター西城秀樹、傷だらけのヒデキの晩年と最期を解説。
この記事では西城秀樹の晩年と最期に迫っていきます。
「西城秀樹」とは?簡単に説明
昭和のスターのなかでもトップオブトップなのが西城秀樹だと言っていいでしょう。
その名前から思いつく言葉は数えきれません。
ヒット曲も「激しい恋」や「傷だらけのローラ」などアイドル時代のものから円熟期の「YOUNG MAN」そしてアニメちびまる子ちゃんのエンディングテーマ「走れ正直者」20世紀最後のガンダム∀ガンダムの主題歌「ターンエーターン」など時代を越えて歌われているものばかりです。
変わったところではバーモンドカレーのCMでおうちカレーを普及させた立役者として評価されています。
「西城秀樹」の晩年
その晩年は必ずしも順風満帆なものではありませんでした。
2001年に初めて脳梗塞を発病。
その後2003年、2011年と脳梗塞が再発。
懸命のリハビリで不死鳥の如く復帰はするものの、実際にはさらに少しずつ、病が身体を蝕んでいくのでした。
それは複数回発病した脳梗塞とそれによるダメージからくる多系統萎縮症によるもの。
日常生活に支障が出始めていたのは間違いありません。
「西城秀樹」の死に様
2018年4月25日の夕食のさなか、突然転倒、そのまま心停止状態に陥ります。
緊急搬送された病院で心臓は動きだしますが、40分間の心停止により脳は致命的なダメージを受けており、翌日には脳死判定を受けていました。
心臓は数日で止まるだろう、持って1週間と医者から夫人は宣告を受けます。
しかしそれから三週間心臓は動き続けたものの5月16日の夜に家族に見守られながら息を引き取っています。
63歳没。
「西城秀樹」の死に様の信憑性
大スターの死にワイドショーはもとより、新聞雑誌などのマスメディアはこぞって亡くなるまでと彼の今までの功績を回顧していたため、彼の散り際については多くの方が知っていると言っていいでしょう。
それに加え2018年の11月に夫人の著書「蒼い空へ ~夫・西城秀樹との18年」で闘病の経緯がより詳しく明かされています。
そこには八回に渡る脳梗塞の再発、それによって併発された進行性の多系統萎縮症について赤裸々に書かれていました。
まとめ
西城秀樹は2016年4月25日自宅で夕食を完食した後に、突如けいれんを起こし心停止状態に陥ります。
緊急搬送され、心臓は再稼働し始めましたが、40分の心停止の後遺症は深刻で翌日には脳死判定をくだされます。
心臓は三週間に渡って動き続けましたが、昏睡状態から回復はできませんでした。
16年5月16日、63歳でその生涯を終えています。
晩年の彼は公表された以上に苦しむ毎日を過ごしました。
8回の脳梗塞と進行性の他系統萎縮性で日を追うごとに痩せ細り、歩くのも困難になりつつあったようです。