横溝正史は、金田一耕助を主人公とする探偵小説シリーズで人気を博した推理作家です。
横溝正史の晩年と最期について紹介します。
横溝正史とは?
横溝正史は、1902年に神戸市に誕生しました。
処女作は「恐ろしき四月馬鹿」という作品で、「新青年」という雑誌に応募しています。
江戸川乱歩に招かれ上京し、博文館に入社しました。
雑誌の編集長をしながら、自らも作家として活動しています。
博文館を退社した後は作家に専念しますが、しばらくは不遇の時代が続きました。
1948年に「本陣殺人事件」を発表します。
金田一耕助が初めて登場した作品です。
その後も本格派の推理小説を次々と生み出しました。
横溝正史の晩年
横溝正史の代表作である金田一耕助シリーズは、次々と映画化やテレビドラマ化されました。
「犬神家の一族」は俳優の石坂浩二が主演し、人気を集めました。
古谷一行が金田一耕助を演じたテレビドラマもヒットし、横溝正史の名前も広く知られるようになったのです。
晩年も創作意欲は衰えず、70代になってから「仮面舞踏会」「迷路荘の惨劇」「病院坂の首縊りの家」「悪霊島」といった長編を執筆しています。
横溝正史の最期
横溝正史は、1981年に病院で亡くなりました。
死因は結腸ガンだったといわれています。
享年79でした。
横溝正史をめぐる逸話
横溝正史は若い頃に肺結核を患い、長野にある療養所で療養生活を送っていたことがあります。
その際には執筆活動もままならない程でした。
しかも、戦時中だったため探偵小説は当局に検閲されてしまうので、自由に書くことはできませんでした。
そういった事情もあり、生活は困窮してしまいます。
病状も悪化し、死んでしまうのではないかと本人も思いましたが、終戦後には結核治療に使われる薬が手に入りやすくなったため回復しました。
横溝正史が生み出した金田一耕助
金田一耕助は、日本の三大名探偵の1人に数えられます。
貧相な体格でボサボサの頭をしており、ヨレヨレの服を着ています。
でも、人懐っこい笑顔が印象的で、人を惹き付ける魅力を持っています。
金田一耕助シリーズには、横溝正史自らをモデルにした先生という人物が登場します。
この中で先生は金田一耕助のことを「耕ちゃん」と呼んでいます。
横溝正史館
山梨県には、横溝正史が住んでいた世田谷区成城にあった平屋を移築した博物館があります。
横溝正史館と呼ばれるもので、横溝正史が執筆を行っていた書斎がそのまま残されています。
横溝正史の長男によって寄贈・移築されました。
横溝正史館には、自筆の原稿や愛用していた品々も展示されています。
まとめ
横溝正史は、金田一耕助シリーズで知られる推理作家です。
晩年も精力的に創作活動を続けており、「迷路荘の惨劇」や「病院坂の首縊りの家」などの作品を生み出しています。
亡くなったのは79歳の時で、死因は結腸がんでした。
現在、山梨県には横溝正史館があります。