アンネ・フランクは、世界的なベストセラーとなったアンネの日記を記した人物です。
ナチスによって強制収容所に送られ、15歳という短い生涯を閉じました。
どのような死に際だったのか紹介します。
アンネ・フランクとは?
アンネ・フランクはユダヤ系ドイツ人で、経済的には恵まれた家庭に育ちます。
その頃のドイツでは、ナチスが台頭していきました。
ナチスは反ユダヤ主義を掲げている政党です。
アンネの両親は、家族でオランダに移り住むことに決めます。
ところが第二次世界大戦が始まると、その状況も一変しました。
オランダもドイツの支配下にはいることになったのです。
ナチスによるユダヤ人の迫害が間近に迫り、一家は身を潜めて生活するようになります。
アンネ・フランクの晩年
家族と共にオランダにやってきた頃は、姉のマルゴットもアンネも学校に通い楽しい生活を送っていました。
アンネは、すぐにオランダ語も話せるようになったといいます。
しかし、ナチスがユダヤ人の迫害を強力に行うようになると、生活には様々な制限が加えられます。
そして姉のマルゴットに招集命令がきたことをきっかけに、フランク一家は隠れ家での潜伏生活を送ることにしました。
狭い隠れ家での生活はストレスも多く、アンネはよく母親とぶつかっていたといいます。
これはティーンエイジャーにありがちな反抗期だったのかもしれません。
また、一緒に暮らす他のユダヤ系ドイツ人家族のことも色々書いており、喧嘩になったこともあったようです。
ただし、日記には誕生日やハヌカー祭、クリスマスなどのお祝いをして楽しかった思い出も綴られていて、隠れ家での生活には辛さだけがあったわけではないことが分かります。
隠れ家にはペルス一家もいましたが、ヘルマン・ペルスのことをアンネはとても楽しい人でみんなを笑わせていると書いています。
ヘルマンの息子でペーターという男の子とアンネは仲良くなり、キスをしたことも日記に書いています。
アンネ・フランクの最期
アンネのいる隠れ家は、ある日警察に発見されてしまいました。
なぜ見つかったのかは、現在もよく分かっていません。
アンネと姉のマルゴットは両親と引き離され、強制収容所に連行されます。
両親は別の強制収容所に送られました。
アンネとマルゴットが送られた強制収容所は衛生環境が悪く、亡くなる人が多数出ていました。
そこでアンネもマルゴットもチフスにかかり命を落とします。
アンネが15歳の時でした。
アンネ・フランクの死後
一人生き残ったアンネの父親オットーが、娘の日記を出版すると評判となりました。
色々な国の言葉で翻訳され、世界中の人々が関心を寄せたのです。
ブロードウェイで上演されたり、映画化もされています。
まとめ
アンネ・フランクは、ナチスから逃れるために潜伏生活を余儀なくされそこで日記を綴ります。
しかし、強制収容所に送られチフスにかかり15歳という若さで亡くなります。