藤山寛美は、昭和という時代を代表する喜劇役者です。
私生活でも自己破産を経験するなど、波乱万丈でした。
藤山寛美の晩年と最期を紹介します。
藤山寛美とは?
藤山寛美は、関西新派の俳優だった藤山秋美の子として大阪に生まれます。
4歳で初舞台を踏み、13歳で松竹家庭劇に入りました。
その後、松竹新喜劇の結成に参加しました。
松竹新喜劇は、藤山寛美を含め2代目渋谷天外や曾我廼家十吾、浪花千恵子、曽我廼家明蝶等が旗揚げした喜劇劇団です。
松竹新喜劇の「桂春団治」という舞台で丁稚役を演じると、一躍人気役者となりました。
渋谷天外と親子を演じたテレビドラマ「親バカ子バカ」は、大ヒットドラマとなっています。
藤山寛美の晩年
藤山寛美は、多額の負債を抱えて自己破産してしまいます。
元々金遣いは荒く、夜の街に繰り出しては派手に豪遊していました。
それに加えて知り合いに騙され、多額の借金を抱えてしまったのです。
その金額は1億円を超えていました。
現在の価値に換算すると、その数倍にも上ります。
結局、自己破産するしかなくなりました。
しかも、それを知った松竹から契約を解除されます。
舞台に立つことができなくなり、任侠映画などに出演して何とか生活していました。
しかし、藤山寛美がいなくなった松竹新喜劇は客の入りが悪く、結局松竹に呼び戻されて松竹新喜劇に復帰しました。
藤山寛美の抱えていた負債は、松竹が肩代わりしています。
松竹新喜劇の舞台では劇団員と繰り広げる芸は見事なもので、喜劇役者として円熟期を迎えました。
その後は20年にわたって舞台に立ち続け、テレビ番組などにも出演しています。
藤山寛美の最期
藤山寛美は、1990年に体に不調を感じ入院します。
検査の結果、肝硬変と診断されました。
舞台に復帰することを目指していましたが、結局そのまま亡くなりました。
享年60です。
藤山寛美の死に様
藤山寛美の妻の話によれば、亡くなる寸前まで舞台のことを考えていたといいます。
亡くなった当日も歩きながら、良い本が欲しいとか芝居がしたいと言っていたようです。
藤山寛美をめぐる逸話
藤山寛美は型破りな人物で、夜の街では豪遊していました。
藤山寛美の母親はお茶屋の女将だったため、遊ばない芸人は花がないと息子に言っていたといいます。
それもあり、結婚してからも子どもが生まれても派手に遊んでいました。
バーのボーイにチップとして車を一台プレゼントしたという逸話も残されている程です。
藤山寛美の妻は、金銭面で大分苦労したといいます。
でも、子ども達には愛情深かったため父親のことが大好きだったと娘で女優になった藤山直美は語っています。
まとめ
藤山寛美は、喜劇役者として人気を博しました。
私生活では夜の街に繰り出し、派手に豪遊したといいます。
億単位の借金を背負い、自己破産しました。
晩年は舞台に立ち続け、入院しても舞台に復帰することを目指していました。
しかし、肝硬変により60歳で亡くなっています。