「トニー谷」の死に際とは?晩年や最期(死因)など分かりやすく解釈

「トニー谷」の死に際とは?日本の人物

トニー谷は、「さいざんす」「おこんばんは」「家庭の事情」「あなたのお名前なんてぇの」等、多くの流行語を生みだしたコメディアンです。

トニー谷の晩年と最期について紹介します。

トニー谷とは?

トニー谷は、そろばんを楽器のようにかき鳴らし英語を交えた独特の喋りで人気を博した芸人です。

東京生まれで、複雑な家庭環境で育ちました。

日米野球の歓迎会で急遽司会を務めると、独特の喋りで人気を博します。

司会者として引っ張りだことなり、1951年には日劇ミュージックホールの司会者及びタレントとなりました。

数々の流行語を生みだし、多数の映画にも出演しています。



トニー谷の晩年

トニー谷は、芸能界から遠ざかっていた時期があります。

そのきっかけとなったのは、長男の誘拐事件でした。

トニー谷の長男が、学校から下校する途中に何者かに誘拐されてしまったのです。

犯人からは200万円の身代金を要求する脅迫状が届きました。

この事件は、マスコミにも大々的に報道されます。

結局、犯人は逮捕され長男は無事に家族の元に戻りました。

しかし、犯人が誘拐した理由をトニーの人を小ばかにしたような芸風が嫌いだったと話したことから世論は誘拐の責任はトニー谷の芸風にあるという論調になります。

実際、他人をこき下ろしたりセクハラまがいの行動をとったりもしていました。

この誘拐事件を契機に、トニー谷の人気は急落します。

そして、しばらく芸能界から遠ざかることになりました。

その後、ラジオ番組の「アベック歌合戦」でカムバックを果たします。

ハワイで生活したこともありますが、日本に帰国すると舞台を中心にテレビに出演したりしていました。



トニー谷の最期

トニー谷は昔ほどの人気はありませんでしたが、寄席でそろばん芸を演じるなど芸人としての活動は続けていました。

そして、1987年に都内の病院において亡くなります。

死因は肝臓がんで、享年69でした。

トニー谷の家族

トニー谷は、不遇の子ども時代を過ごします。

実父は生まれる前に亡くなっており、戸籍上の父親は実は伯父でした。

虐待を受けて育ち、芸人になってからは一切の付き合いをしませんでした。

過去のことを話すこともなかったといいます。

妻子に対しては良き夫であり父親でした。

イヤミのモデルはトニー谷?

赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に登場するキャラクターのイヤミは、トニー谷をモデルにしたといわれています。

当時、トニー谷は「アベック歌合戦」に出演して人気を集めていました。

「おそ松くん」ではイヤミが、流行語にもなったトニー谷の「あなたのお名前なんてぇの」というセリフを言う場面もあります。

まとめ

トニー谷はそろばん芸と独特の喋りで人気芸人となりますが、長男の誘拐事件をきっかけに人気が凋落します。

人を小ばかにする芸風が糾弾されました。

しばらく芸能界から遠ざかりますが、その後カムバックし芸人としての活動は続けていました。

69歳の時に肝臓がんで亡くなります。

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