鉄のような無表情と体を張ったギャグで大衆を魅了した「世界の三大喜劇王」の1人「バスター・キートン」はどのような最期を迎えたのでしょうか?
この記事では、「バスター・キートン」の晩年や最期について分かりやすく解説していきます。
「バスター・キートン」(Buster Keaton)とは?簡単に説明
「バスター・キートン」は、「チャールズ・チャップリン」や「ハロルド・ロイド」と共に「世界の三大喜劇王」に数えられるアメリカ人の喜劇俳優です。
舞台役者の父母の下に生まれ、幼い頃より舞台に立ち、家族で巡業をしていました。
1917年に映画初出演を果たし、第一次世界大戦後に初監督作品「キートンのハイ・サイン」を制作しています。
1920年代に映画俳優として人気を博しますが、1930年代に入ると映画の仕事は徐々に廃れていきました。
自身も酒に溺れ、解雇や離婚、破産など荒んだ生活を送ることになります。
「バスター・キートン」の晩年と最期
1952年に同じく喜劇王として名を馳せる「チャールズ・チャップリン」監督、脚本、制作及び主演のコメディ映画「ライムライト」に出演し、初の共演を果たしました。
この2大スター共演のいきさつですが、当時、「バスター・キートン」は金の工面に困っていました。
それを耳にした「チャールズ・チャップリン」が助け船として起用を持ち掛けたことがキッカケとされています。
さらに、行方不明となっていた「バスター・キートン」の旧作フィルムが発見され、リバイバル上映がされたことで人気に再び火が付き、再評価を得ることになりました。
1957年に自身の伝記映画である「バスター・キートン物語」が制作され、自分の役を演じるキャストの演技指導として携わっています。
1959年にアカデミー賞名誉賞を受賞、1960年に自伝である「わが素晴らしきドタバタ喜劇の世界」を出版、そして、1966年の2月1日に肺がんにより、享年70歳で病没しました。
「バスター・キートン」の死に様の信憑性
肺がんにより死去しました。
「バスター・キートン」にちなんだ名前
・「マイケル・キートン」(アメリカ人俳優)・・・本名は「マイケル・ジョン・ダグラス」ですが、同じく俳優の「マイケル・ダグラス」と被ってしまうため、尊敬する「バスター・キートン」にあやかり、「キートン」を名乗るようになりました。
・「キートン山田」(元俳優・声優)・・・「ちびまる子ちゃん」のナレーションでお馴染みですが、芸名は「バスター・キートン」から取っています。
・「小惑星キートン」(2712 keaton)・・・「バスター・キートン」から命名されています。
まとめ
「バスター・キートン」は「世界の三大喜劇王」に数えられるアメリカ人の喜劇俳優です。
1920年代に一躍人気俳優となりますが、その後、映画の仕事が減ると共に生活は一転、苦しい時期を過ごしました。
しかし、晩年になって人気が再沸騰し、その功績を再評価され、アカデミー賞名誉賞が贈られています。
そして、伝記を出版した後の1966年2月1日に肺がんにより、70年の生涯を閉じました。